• A silver Club Story
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永遠の中部銀次郞イズムを嫡男、隆さんが継承し、ウェアにまで昇華させた!
「SILVER CLUB」
大洋漁業の御曹司として生を受けた中部銀次郞さん。
 2人の兄とともにゴルフに親しみ、やがて日本を代表するアマチュアゴルファーに成長する。
 そのタイトルを一度でも手にできれば本望という日本アマに優勝すること6回。この記録は 38年経つ今も破られていない。トップアマがプロに転向する今となっては、おそらく永遠に保持される金字塔である。
 そんな銀次郞さんが真剣ゴルフから徐々に距離を置くようになった1984年、自分と親しい マスコミの人間やトップアマの選手たちと和気藹々の楽しいゴルフ会を催すことになった。
 そのゴルフ会は銀次郞さんの「銀」にちなんで「シルバークラブ」と命名され、銀次郞さんが獲得した優勝カップをつぶして、この会の刻印を入れた優勝カップまで作られた。
「シルバークラブ」のゴルフ会は和気藹々の中にも、中部イズムが自然に反映される。
それは集う者皆が銀次郞さんのゴルフ精神の信奉者であったからだ。
 銀次郞さんは今から15年前に天国に召されたが、そのゴルフ精神は永遠の哲学である。だからこそ、その精神を継承していく必要がある。幸いにも銀次郞さんの嫡男である隆さんがそれを受け継ぎ、「シルバークラブ」は隆さんのゴルフ友達を招き、新たな発展を成し遂げることになった。
 しかも、銀次郞さんが築き上げた純粋なゴルフスタイルは、隆さんの手によって鎌倉シャツの下、「シルバークラブ」というゴルフウェアに昇華したのである。象徴するポロシャツには「シルバークラブ」の刻印がエンブレムとなって付けられ、燦然と輝きを放っている。
 「シルバークラブ」のゴルフ会は、昨年の12月14日、銀次郞さんの命日に記念すべき第50回を迎えた。父のゴルフ精神を受け継ぐ隆さんが、「シルバークラブ」のウェアとともに今後どのような発展を成し遂げていくのか。それは100年後も色褪せることのない永遠の事柄であることだけは間違いがない。
なかべ・ぎんじろう
1942年生まれ。甲南大学。1962年若干20歳で日本アマ初優勝、以後17年間にわたり日本アマは通算6勝。67年の西日本オープンではプロを制しての優勝も果たしているが生涯アマチュアを通して。171センチと決して恵まれた体ではなかったものの、その正確無比なショットと精緻なコースマネジメントは圧倒的な存在感を示し、アマチュアの至宝とたたえられた。2001年、59歳で惜しまれつつ逝去。
なかべ・たかし
1969年、東京都生まれ。170cm、60kg。玉川大学卒業。尾道造船社長。廣野GC所属。ゴルフは大学から始め、本格的に取り組んだのは30歳を過ぎてから。’09、’13、’14年関東アマ、’05、’06、’13年、日本ミッドアマ出場など。中部銀次郞さんの嫡男。
みやもと・たく
1957年、和歌山県生まれ。神奈川大学を経てアサヒゴルフ写真部入社。84年に独立し、フリーのゴルフカメラマンになる。87年より海外に活動の拠点を移し、男子4大メージャートーナメントの取材だけでも100試合を数える。なかでもゴルフの祭典マスターズの撮影をライフワークとし、公式カレンダーを担当。 Pebble Beach, Rivieraのオフィシャルフォトグラファー。写真集に「美しきゴルフコースへの旅」などがある。 冊子「Silver Club Style」の撮影を担当。
ほんじょう・つよし
1956年、東京都生まれ。週刊アサヒゴルフ編集を経て、月刊テニス雑誌「TT」の創刊から関わり、その後、「ナンバー」「ターザン」「ポパイ」「JJ」「Hanako」など人気雑誌にスポーツ記事を執筆。同時に編集会社を起こし、「BAFFY」「サッカー日本代表マガジン」「CRAZY BASS」「夢田舎」「PARADIS」「LE CHEF」「OLD BOY」など、スポーツだけでなく、あらゆるジャンルの雑誌で編集長を務める。現在は「書斎のゴルフ」編集長。 冊子「Silver Club Style」の編集と執筆を担当。
みたむら・しょうほう
1949年生まれ。週刊アサヒゴルフ編集副編集長を経て77年に独立。スポーツ分野の記事、編集の草分け的存在であり雑誌「ナンバー」の創刊準備から携わる。その他様々なメディア媒体で活躍。

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