New York出店は、何が何でも成功しなければならなかった。
日本人が西欧のシャツを売る。多くのアメリカ人はそれを不可能だと思うに違いない。
鎌倉シャツがどんなに知名度が高くてもそれは日本での事である。私がNew York出店を2008年に新聞発表したとき、取引工場も業界の方々も、恐らく誰も信じてはいなかったと思う。

私達が勉強して工場の皆様の技術を高め、そのシャツがファッションの世界でも、価値のあるものと認めてもらう必要がある。
鎌倉シャツは知名度が高いですと私達がいくら大声をあげても、New Yorkの人は誰も耳を傾けてはくれない。西欧や米国、とりわけNew Yorkを研究すればするほど、私達のNew York進出の正当性を主張するには無理があると考えていた。

折しも、弊社社長貞末民子がパリに訪問した際、こんな本がパリの有名セレクトショップで堆く積まれて販売されていたと一冊の本を持ち帰っていた。これが『THE IVY LOOK』である。
英国人の著したこの本が世界6カ国で販売され、IVY発祥の地アメリカでも話題となり、古きよきアメリカの復活、こんなテーマがファッションメーカーや若いデザイナーに強い刺激を与え、IVYブームが再来したのである。
IVYの事は理解している、何かのヒントがあるのではないかと、この本の1頁から目を凝らし舐めるように読んでいった。
ついに180頁に、『この本の資料の大半は日本に在った。IVYの世界は日本がそのルーツであり、それが西欧の起源であったとしても、このIVYの世界は東洋の日本が西欧に勝ったのである』と、更にそれを世に出した日本のVAN JACKET及び石津謙介に感謝していると、著者グレアム・マーシュさんは記していたのだ。

私はVAN JACKETに25~37才まで勤務した経験がある。その経験を彼に伝え、IVYの精神を語るボタンダウンシャツを贈り、評価に値するかを問い、彼が納得するものであればNew York進出への推薦状を書いて欲しいとお願いした。彼は私達のつくったボタンダウンシャツを高く評価してくれて、喜んで推薦状を書いてくれたのだ。New York出店、開店前の店頭告知看板にある文章は皆様もご存知の通りでしょう。
 
【グレアム・マーシュさんからの推薦状】
優れた著名な会社、鎌倉シャツがMADISON New York第一号店を出すという。
日本人の物づくり、精緻な技術、英国人の私にとっても、これは何の不思議な事ではありません。成功を信じています。

 私はこの瞬間New York進出の成功を確信したのです。

2012年10月30日の開店には、グレアム・マーシュさんを招待した。
彼は1960年代のアメリカのもっとも栄光の時代の物づくりのすばらしさを知っている芸術家でもあった。彼には鎌倉シャツに出会えたことが運命的な衝撃であったように思えた。
彼の永年の願望、あの素晴らしかった60年代の製品を今の若い人達、またあの頃を知る彼と同世代の人達にも懐かしい商品を再現したい。
強い思いを実現しようにも、すでに米国にも英国にも、かつての製品を実現できる会社も工場もない。
鎌倉シャツに出会った彼は夢の実現をしたく、私に熱っぽく語った。開店記念のパーティでは私の隣に座り、当時のシャツのスケッチを描きながら永年の夢を語り始めたのだ。あまりにも真剣で、ワインを飲む時間もない。3ヵ月後2013年1月にはロンドンに行き、詳しい話をすると約束した。
ロンドンからは、当時のエクリュ(生成色)のオックスフォード生地、シャンブレーのシャツ地を探して持参するように…とすごい熱の入れようだった。
年初め5日、ロンドンのレストランでは食べるのも忘れ、持参した生地を触り、まさにこれだ!と叫んでいた。この時、鎌倉シャツとグレアム・マーシュさんとのコラボレーションがスタートしたのだ。

グレアム・マーシュさんと貞末良雄
New York出店の幸運のメッセージをくれたグレアム・マーシュさんと私