「時間」

時間は全てのものに平等に与えられている。

メキシコに住んだ事のある友人から、
「メキシコ人は時間を降り積もってくるものと表現する」と聞いたことがある。
自分の肩に降り注いだ時間の重みをどの様に感じ、どの様な知恵とするか、
あるいは、慈雨の様にそれによって成長するか、いずれにせよ時間を重たく受け止めている様に私は思う。

一方、私達日本人は、時間は未来からやって来て、過去へ流れていく、川の流れの様に捉えている。川の流れはいつも同じ様であるが、決して元には戻らないし、同じ流れはないと昔の詩人が詠んだ一節がある。

あなたは時間をどの様に捉えていますか?

時間は相対的なものと物理学者は言っている。重力によって歪められるとも。
相対的と言えば、人間の一生を80年とすると、それは29,200日に相当する。
ハツカネズミの一生は20日である。生まれて成長して子供を作って死に至る20日間で、人間の29,200日分を経験する。人間の1470分に1である。

ハツカネズミにとっても1日は1日であり、1時間は1時間であるが、
彼らの1日は人間の4年に相等する。
私達より2倍近く長生きする象や鯨の1時間は、人間の2時間という事になる。1歳の子供の1年は、一生であるが、60歳の人の1年はその人の一生の60分の1である。だから年をとると時が経つのが早いと感じるのだろう。

相対性理論(アインシュタイン)によると、限りなく光の速度に近い乗り物に乗って空間を移動するとき、時間は限りなく進まなくなってしまう。
もし人間がその乗り物に乗って、一年経って地上に戻ったら(仮に地上の時間は50倍、50年経過しているとすれば)その人は50年後の世界に舞い戻ることになる。そこは未来である。

移動できる物体が、限りなく光速に近づく事はできないが、あり得ない話も理論物理学的には、実際に起きる話らしい。光の速度に近似値で飛び交う超素粒子の世界のことである。

理論的には、人間は未来に行けると言われている。
光のスピードと時間のスピードは同じ様に思えてしまう。
光には時間が無いことになる。時間はそんなものらしい。
光と同じ速さであれば時間は進まない。光の速さは真空中で1秒に30万km、地球7周り半である。光の速さはカウント出来るし、感じる事もでき、見る事も出来る。
しかし、時間は見る事も感じる事も出来ず、その速さは判らない。

実際に人工衛星での時間と地上での時間には誤差が生じている。それは衛星のスピードが速く、時間に遅れが出る。一方、地上の時間は地球の重力の影響を受けて遅れる。その差は1日に100万分の38秒と書いてあった。

こうなると何がなんだか、さっぱり判らない。体感できない世界だ。
時間と空間が一体で、時空と呼んでいて、時間は一次元のものだと。
時間は宇宙誕生と同時に生まれたのでしょうか???

時間は総てのものを成長させ、増大させ、最後に消滅させてしまうものなのでしょうか。時間は逆戻り出来ないのだ。
この様に不思議な時空に私達は生を受け、そして生まれて来て、よかったと思える。自分や自分の周りの環境を創っていけるのですから。

今日一日がすばらしく『自分自身に納得出来る事』が、与えられた時間を本当に享受している事になる。その時間を出来るだけ増やせる事が、素敵な人生だと、考える事は出来ないだろうか。
長生きとは『納得時間』の長さを比較すると考えてもよい。
人は素敵な時間は終らないで欲しいと願い、逆に好ましくない時間は、早く終わって欲しいと願う。当然の事ながら、楽しい時間を創り出す為に、人は限りない努力・苦難を受け入れて、やがて来るであろう楽しい時間を創り出すのです。

健康を害すると判っていても、その様な習慣から脱する事が出来ない人や、楽しく暮らす事を求め、心を鍛えない人は、持ち時間を早く消化してしまうことになる。と考える事は出来ないだろうか?
時間は私にとって、永遠の謎である。