我が日本では、この洋服が明治4年の宮中会議で羽織袴から洋服を正式の制服とすべしと古い伝統を断ち切って決定された。
それ以来、皇室関係者、政府近代化に伴う新しい職業に携わる人々の制服として洋装が広がっていくことになる。
もちろん英国がお手本である。

当然この時代の洋装は1870年頃であるから、今からみると完全にフォーマルウェアの装いであった。
従って、シャツは白しかなく、「白=ホワイトシャツ=ワイシャツ」と呼ばれ、一方、フォーマルのシャツ衿型は、カットアウェー(ワイドスプレッドカラーのさらに角度の広いもの)カッターシャツとも呼ばれたのではないだろうか。

洋服は羽織袴に比べて、充分機能的であり世界の人達と交流する時に違和感を与えない、列強の国々とも同一線上に並んだ誇りや、相手に対する礼儀としても当時の人々はその有用性を強く感じたのではないだろうか。

高貴な存在である人々や新しい社会における支配層の職業人が着用するこのフォーマル性の高い洋服はそれに憧れを抱く庶民によって受け継がれて急速に伝播して行ったのである。
とは言っても、それは一部の人々に限られ、洋装が日本国中に広く浸透していったのは、昭和26年に衣服の配給制度が終了し、朝鮮動乱による好景気で、ようやく日本人も食べることだけが目的の生活から脱し、服を着ること、お洒落に装いたいという欲望に目覚めた昭和30年代以降(1955年)ということになる。

私達日本人は洋装の歴史を日本全体で体験し始めて、いまだ50年もたっていないということを自覚せねばならない。
すなわち、私達には洋装の遺伝子を持っていない民族なのである。
この謙虚な自覚こそが素直に学ぶ姿勢となり、洋装術の進歩を促すものと思っている。