1945年8月の敗戦と共に、日本各地に進駐軍の姿が見られるようになる。

また、兵隊だけでなく家族のための宿舎が都内のあちこちにできた。中でも最大は代々木の「ワシントン・ハイツ」。現・代々木公園がそれで、白ペンキ塗りのハウスが並び、芝生の庭で子どもたちの遊ぶ姿が金網のフェンス越しに見えた。

中学生だったわたしは、毎日、学校の行き帰りにJR原宿と渋谷駅間にあるキャンプ風景を食い入るように見入っていた。ついこの間まで「鬼畜米英」と教えられた軍国少年が、アメリカ大好きに豹変していた。

忘れられない光景がある。先のワシントン・ハイツの横を山手線で通る度に、いやでも目に入ってくるのは、彼らの洗濯物。

風になびくカラフルな子ども用Tシャツを、なんて美しいのだろうと見とれる日々だった。

わがUSコンプレックスのはじまりは、進駐軍家族の洗濯物にあった。

(つづく)

Washington Heights in Tokyo
出典:Wikipedia