「男性日傘も生活の一部になる日がきっとくる」と、「男も日傘をさそう会」会長は熱く語る。が、一世紀前の東京で日傘はぜいたく品だった。

大正から戦前の昭和にかけて、日傘男子は恥ずかしいどころか、周囲から一目置かれる存在、さしている男性は自慢だった。

日傘は、高額所得者のステータスシンボルで、現代とは天と地ほどの差があった。当時、日傘は一種類、「絹紬(けんちゅう)」と呼ばれた絹織物製で、色は表がベージュ、裏がグリーンと決まっていた。高価な品だった、決して庶民の持ち物ではなく「旦那衆」という一部階級の独占品だった。

古典落語「船徳」に登場する「コーモリ傘の旦那」がそれ。真夏に浅草へ遊びに行くのに涼しいからといって、桟橋(台東区)から舟をチャーターして隅田川を行くのだから、どれ程お金がかかるのだろう。

日傘男子は羨望の目で見られた良き時代があったのだ。

(おわり)