穂積和夫さんとの出会いは、わたしの人生を変えた、運命的とでもいうのだろうか。
穂積さんのおかげで「MEN’S CLUB」と仲良くなれ、穂積さんをリーダーとする「アイビー・クラブ」が誌上に紹介されるラッキーな出来事につながったのである。
そのご縁で原稿を書かせていただくことになった。生まれて初めて自分の書いた文章が誌面に載ることに。完全に舞い上がったが、さめてみると不安だらけ。文章はどう書けばいいのでと、セツ先生に救いを求めに言った。「お前のことなんか誰も知らない。間違ったって平気」。このアドバイスで肩の力は抜け、脱力文をつづった。大学4年の秋のことだ。
「MC」を通じて「VAN」を知り、奉公していた「テーラー山形屋」を退社、出来たばかりの「東京VAN」企画室に入った。1961年5月である。
長沢節――穂積和夫――MC――VANへとつながり、いまのくろすとしゆきがある。
(おわり)
(c)MEN’S CLUB vol.35 より~昭和39年3月1日発行