信じてもらえるだろうか。太平洋戦争のド真中、「ジャズの演奏・鑑賞禁止令」が発令された。
ジャズを始め英米音楽は「敵性音楽」として、演奏はもとより、
聞くこともまかりならぬというおふれが出た。昭和18(1943)年1月、小学3年のことだ。
わが家には兄たちが集めた洋盤がいっぱいあった。
当時、ポピュラーミュージックはひとまとめにして「ジャズ」と呼んだ。
ませた小学生だったので、兄たちと一緒になってレコードを聞いていた。
レコードは78回転のSPと呼ばれたアレだ。それを手回しの蓄音機で聞いた。
わたしはゼンマイ回きの係で、1曲(約3分)終わるごとにグルグルとハンドルを回した。
その楽しみも終わりを告げた。
やがて、ジャズに次いで敵性語として英語を使うことも禁止になった。
野球用語もすべて禁止、日本語に変更。
米国生まれのベースボールも完全に野球となり、英語は消えた。(つづく)