VANが有名になる以前のことだったので、靴メーカーの「ノリ」は悪い。最初のメーカーとは何回試作を重ねても思っているのとまるで違う。半ば日本での靴作りをあきらめかけた時「REGAL」というブランドを知る。
単身乗り込み、熱く語ったが反応は悪い。1人、企画部長が分かってくれ、資料室に案内してくれた。その時のショックは忘れない。頭の中で描いていた「アメリカン・シューズ」がゴロゴロあった。「これです。こんな靴が欲しかったんです」。声が出るほどに興奮していた。
残念ながらあとの役員は冷めていた。「悪いことは言わないからおやめなさい。売れませんよこんな靴」。
VANに戻ったがあきらめきれず、この靴を世に送り出したかった。専務が理解を示してくださり、「テイメン別注でやってみよう」と救いの手を差し伸べてくださった。
うれしかった。「地獄で仏」とはこのことか。
(つづく)