1962年というと、日本は高度経済成長期、人々の暮らしは目に見えて豊かになりつつあった。とはいえ、自動車は高嶺の花、マイカーは夢のまた夢だった。
そんな時代に、外国製スポーツカーを乗り回す若者たちがいた。スポーツカーどころか免許も持たないわたしが、なぜか彼らと知り合う。
当時、国産のスポーツカーはなく、彼らの車はすべて輸入車で「トライアンフ」「MG」などに乗っていた。毎晩のように会い、車、ファッション、ジャズの話で盛り上がった。話に飽きると「ちょっとやりますか」といって、開通したばかりの高速道路・東橋口へ向かう。料金を払い、羽田線でレースを始めるのだ。10分ほどの「お遊び」を彼らは「京橋サーキット」と呼び、夜な夜な楽しんでいた。信じられないことだが、こんなことが可能なくらい無人の首都高だったのだ。その連中とは、63年第1回グランプリに出場した故式場壮吉、生沢徹、ミッキー・カーチスらである。
(おわり)