肩書の話が横道へそれた。「脱」服飾評論家の話だった。
評論家と名乗るからには古今東西、服のことならなんでもござれでなければならない。
比べるまでもなく、わが守備範囲の狭いこと。
昔の服?分かりません。最新流行?知りません。婦人服?苦手です。
いったいいつの、どんな服なら分かるのか。そう、1950~60年代の、ごくごく限られた服装しか語れない。
よくもまあ恥ずかしくもなく、服飾評論家の肩書を付けてきたものだ。
深い反省とおわびを込めて返納します。
あらためて考えた(本来は不用なのだが、肩書がないと日本社会は認めてくれない)。
「アイビー研究家」好きだが研究はしないのでボツ。「アイビー愛好家」これまたうさんくさい。
これしかない肩書を思いついた「あいびい流家元」(自称)。
家元といいながら弟子は1人もいない。いかにもインチキくさくてわたしにピッタリ。
(おわり)