「節スタイル画教室」は高円寺(杉並区)から高樹町(港区)、
舟町(新宿区)へと移り、校名も「セツ・モードセミナー」とカッコよくなった。
数10人で始まった教室も、いつしか卒業生が数百人を超えた。

OB、OGの中にはファッション界で活躍する有名デザイナーがいっぱいいる。
イラストレーターも多数輩出した。
1970年代のファッションシーンはセツ出身者で占められた、
といっていいほど優秀な人材を送り込んだ。

くろすとしゆきにとって、セツ教室で1年先輩の穂積和夫さんとの出会いが運命的だった。
穂積――アイビー――「トラディショナル・アイビー・リーガース・クラブ」(1958年設立)――
「メンズ・クラブ」取材――「MC」執筆――「VAN」入社と、いま思えば
トントン拍子にアパレルへの道が開けていった。

すべての始まりは長沢節先生(1917~99年)との出会いからだ。
セツ先生ありがとう。

(おわり)

setsunagasawa