新聞の片隅に「セツ・モードセミナー閉校へ」。小さな記事が載っていた。
あのセツ・モードセミナーがなくなるのか、鼻の奥がツーンとなった。
こんにち、くろすとしゆきがあるのはすべて長沢節先生のおかげ。
もし、セツ先生にお会いしていなかったなら、アパレル業界に身を置くことはなかった。
ごく普通の会社に就職し、定年を迎えたよたよたのじじいになっていたに違いない。
人との出会いの不思議さをいまさらながら思わずにはいられない。
セツ先生に初めてお目にかかったのは1955年、20才の夏だった。
開校間もない「節スタイル画教室」の存在を知り、早速電話をした。
「入学するにはどうすれば・・・」と緊張して伝えると、「次の土曜日からおいで」。
気が抜けた。難しい入学条件があると身構えていたところへこの返事だ。
後に判明したのが、電話の主はセツ先生ご本人だったのだ。
第一歩はこうしてユルくスタートした。
(つづく)