「MENS’ CLUB」のグラビア時代を経て、舞台は東京の写真スタジオから
アメリカ東部アイビーリーグのキャンパスへと移る。

1965年、『TAKE IVY』取材班に、しょうけいさんにも加わってもらった。
全員初の海外ロケなので、プレッシャーに押しつぶされそうであった。

しょうけいさんは2眼レフ(マミヤフレックスだったと記憶している)を持って参加した。
これまでのスタジオ撮影と違い、学園内の大学生をスナップ撮影するのだから、機動力が要求される。

2週間という限られた時間内で、われわれは「いい絵」を撮ることに必死だった。
若さもあったが、全員モノにつかれたように頑張った。
言葉も習慣も分からないアメリカの大学で、よくあれだけの写真が撮れたものといまになって感心する。

その成果は『TAKE IVY』にすべて表現されている。
50年後、英語版が米国で出版されるとは誰が予想しただろう。
(おわり)
takeivy
 左:昭和40年の初版本(貞末良雄所有)
 右:2010発刊の英語版