東京大空襲から70年目の3月10日がきた。
1945年3月10日未明、米軍のB—29爆撃機約300機が
東京都の東部に約1700トン(30万発超)の焼夷弾(しょういだん)を投下。
火は強風にあおられ、木造家屋の密集地帯が火に包まれた。
現在の江東、墨田、台東区がほぼ焼け野原に。一夜で約10万人が死亡したといわれる。
わたしはこの夜、学童疎開で東京を離れていて大空襲は知らない、
小学4年の冬である。
疎開先も安全ではなくなり、3月31日をもって閉鎖、富山県へ再疎開することになっていた。
両親は富山へやるのは心配との理由で東京に残ることになった。
学校(東京の本校)は閉鎖中なので、実家に戻ってからは家にいて漫画漬けの毎日だった。
そのころ小石川(現文京区)の家には両親と兄、10日に焼き出された親戚がいて、
戦時中とはいえ、平和でのんびりした日々を送っていた。4月13日までは……。
(つづく)