Maker's shirt 鎌倉

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健康について考えてみる【2】


衣食同源については、前回にも記述しました。
食物は、まさに健康と同義語と言えます。
 
友人の子供二人は、中国人とのハーフです。
6才と8才の二人に、日本製の牛乳を飲ませたところ、
二度と中国製の牛乳に口をつけませんでした。
 
日本製は中国では高価なので、困った友人は日本製のビンに
中国牛乳を1本入れておいたところ、何と、飲んでいたのは、
日本製を入れたビンの牛乳だけで、隣に置いた中国製には口をつけなかったのです。
 
この様に、子供の味覚は鋭いのですが、大人の友人にはその区別がつかなかったのです。
大人は鈍感になってしまっているのでは・・・?
 
私達の回りにある食品はどうなのでしょうか?
レトルト食品、外食が多くなり、自然に味覚が衰えているかもしれないと、
考えるべきではないのでしょうか?
 
中国では、上海近郊で農業を営む人の大半は北方から出稼ぎの農家が多く、
土地を借りて一年中農作物を生産しています。
その為、虫害等を防ぎ、生産性を高めるために、
法律で禁止されている農薬も使用していると、報道されていました。
農作人は薬品の知識が無いのですから、罪の意識はありません。
 
一方、無農薬で野菜を作っている農家は、自分の子供達のためにもと、
頑張っているが、野菜を市場に持っていくと、虫食いの野菜には目もくれません。
しかも価格はどうしても割高になるのです。
 
体に良いもの、自然に近いものは、値段が高くなります。
良い物を正しく選び、少量でも大切に食べる生活者がいない限り、
食品でのトラブルは収まりません。
 
中国人は、できれば日本製をと言っています。
日本人は、何と言っているのでしょうか?
あれだけ中国野菜、餃子、レトルト食品の中国製の問題が報道されても
消費者の選択が変化しない限り、利益拡大化のために、
低コストでの食品調達のルートは変わりません。
防腐剤の入った食品を永年食べた人は死んでも腐らないと言われました。
防腐剤の知識を持つ必要があります。
 
ゴキブリでも食べない食パン、何日放置してもカビも生えないパン菓子。
夏の日中、プラットフォームで売られている駅弁等、
どうして腐らないのかと疑問を持たないのだろうか?
国が許可した防腐剤は奨励されているわけではなく、
腐ったものを食べるよりは、腹痛、下痢、中毒を防ぐための
やむ得ない範囲で使用されているものと信じたい。
少々体には悪いとしても、もし食中毒を引き起こせば企業の生命にかかわることになる。
 
販売側は、食中毒が生じるおそれがない様に、安全にと考えれば、
防腐剤の量が多くなるのを防ぎようがない。
 
防腐剤は自然のものではないので、
国が認可しているからといって、毎日防腐剤づけの食生活で
体の健康が長期に亘って保てるとは思えない。
少々の薬剤ではすぐには、人間は死なない。
 
もしかして、これが食品業界の常識であれば、生活者自信が防衛するしかないのである。
わずかばかりの薬剤が長年体に沈殿していくとしたら、
これは恐ろしいことだと思わなければ健康な体創りは出来ない。
 
病気になって失う時間と費用を考えると、少々価格の高い食品であっても、
安全を保証してくれる食品を選ぶべきであろう。
中国の友人は言う。中国には選ぼうにも、どれもこれもまともなものが無く選択肢はない。
子供を持った親達は、皆、日本の様なクリーンな処へ行きたがっている。
このユートピアの様な日本で、日本人は、食は安全と安心しきっている。
 
そこに乗じた食品偽装事件が多発しているに拘らず、私達の平和ボケ安全ボケが続いている。
自分の健康は医者が保証したり、守ったりはしてくれない。
自分で防衛していくしか無いのである。
私達の周りには、加工食品が蔓延している。
自然な食品は都会では努力しなければ手に入らない。
 
食べる毎に健康へのイメージの拡がる食品か、
もしかしたら悪い予感のする食品を、毎日口にしているのか?
少し注意して考えれば、分かることなのだから。
 
病気になれば、医者にかかれば良い。
その為に、高い保険料を払っているのだから。
そこで医者も商売であり、医薬品メーカーも商売である。
健康な人ばかりでは商売上がったりだ。
医者が病人を創り上げる傾向にないだろうか?
いつの間にか、むかしなかった現代病が増えている。
メタボ指数、うつ病、高脂血症(コレステロール)、くしゃみ3回で薬を飲んでいたら、おちおち、
くしゃみもできない世の中に誘導されてしまっている。
 
自分の体のことは、自分が一番知っているのだから、平常から自分の体との対話を欠かしてはならない。
変兆があれば、その原因を究明する習慣をつけたいものだ。
誰のものでもない、自分の体なのだから。

健康について考えてみる【1】


100才まで生きて論じることかもしれないが、あと25年かかる。
それでは間に合わないかもしれないので、健康に関して話してみたい。

人間の体を精密機械に例えてみれば、何千億円かけても人間技で作り出すことはできない。
想像を超える、繊細なものであると認識しておかねばならない。
たとえ、車であっても充分に手入れをして、大切に愛して使えば長持ちする。
大切に手入れをしている車を、乱暴に運転することはできないものだ。

私達は、自分の体が頑丈にできていると思い込んでしまっている。
一病息災は自分のどこかが故障しているから、安全運転して、体を労わりながら生きている。
これが、むしろ正常な体と思い込んでいる人より長く、それなりの健康体を維持して長持ちしているのであろう。

健康であっても、この精密機械に負荷をかけない様、大切にしなければならない。
壊れてしまっては、車の部品を取り替えるようなわけにはいかない。
中国のことわざに
「病気はその兆候が表われるまでの時間をかけなければ全治しない」とある。
60才で20年前からの生活習慣が原因で病魔に侵されたとすると、
完治には80才までの年月が必要となる。
この様に考えると、40才になる前に、体に負荷のかかる生活習慣を改めておかなければ、
それ以降の病気は手遅れになってしまう。

オーストラリア原住民のアボリジニ族は、平均120才まで生きると言われている。
彼らは、それより若く命を失う人々は緩慢なる自殺行為を、生活の中で繰り返しているという。

30年以上も前、世界保健機構のタバコに関する論文内に、
-タバコは人の命を縮めるもっとも危険なものであり、タバコを吸う習慣の無い人は、
人類を救う選ばれた人たちである―
という項目に強い衝撃を受けたものである。早死にしたければ、タバコを吸えば良いのである。

先輩が新聞記者と談笑していたあるパーティーで、二人は共にヘビースモーカーであった。
彼ら曰く、タバコを止めるくらいなら、死んだ方がましだ。
戦争中でも食べるものには我慢出来たが、タバコは無理だった。なんとか手配をしたものだ。

しかし、その両人は、やがて肺に欠陥がみつかり、これ以上の喫煙は命を縮めると言われ、
その日から禁煙してしまった。
命よりタバコは大切だと、豪語したのは、自分だけは大丈夫と考えていたのであろう。
残念ながら、喫煙をやめても、侵された肺は元に戻らなかった。時すでに遅かったのである。

次に体の中で傷みやすいのは歯であり、その次は目と言われている。
医食同源と言われるのは、食事と健康は本質的に同じであるという意味で、
口から入るものが、体の健康を左右すると考えなければならない。

口から入るものは、歯によって細かく砕かれ、消化を助けることになる。
従って、歯を大切にしなければならないのであるが、以外と歯を大切にしている人は少ない。
笑うにしても、話すにしても、人前に歯をさらすことになる。
健康な白くきれいな歯、または、よく手入れされ、
治療された歯並びはその人の全てを表現していると言っても過言ではない。

健康でストレスを感じない生活を望むなら、絶対に歯の治療を後回しにしてはならない。
いくら費用がかかろうと、時間が必要であっても、人生の全てが係っていると考えて、
即刻歯医者の門をたたかねばならない。

前歯の汚れ、欠け等の放置は健康だけでなく、人格の中味すら曲げて受け取られる危険性をはらんでいる。
奥歯は言うまでもない。たべものを砕く武器でもある。
永久歯は代替えがむずかしい。虫歯も極端な歯列の悪さも、将来に禍根を残す。できるだけ早期の治療が望ましい。
健康はお金を貯めるよりむつかしい。
お金は食うや食わずで貯めることもできる。
ある日突然に相続を受けたり、馬券や宝くじに当たるなど、予想外なことでも、お金を手に出来る可能性を持っている。
しかし、健康は、毎日毎日、努力して積み立てていくものである。

20年の努力も、わずか1か月の無茶苦茶な生活、ストレス過多な生活をすれば、
全てを失ってしまう。
健康とは、毎日自分と向き合い、今日の行動がよかったか、もし悪かったら、無茶をしたら、
それによって、体は傷つけられていると考えることである。
正常な日常を取り戻し、時間をかけて癒していく。その決意を持ち続けることが健康を保つ一つの方法でもある。
人間の体は、決して丈夫ではないと考えるべきである。
自分だけが例外的に丈夫ではないのである。


メーカーズシャツ鎌倉株式会社
取締役会長 貞末 良雄

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