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成りたい自分に成る【3】
2013年9月20日 貞末良雄のファッションコラム
若い社員から質問を受けた。
「今の自分が判らないのに成りたい自分なんて考えることが出来ない。」
今の自分とは、どんな人間なのだろうかと考えている自分である。
私は正義感があり、優しくて思いやりもあり、人の意見に耳を傾け、相手にとってなくてはならない友であり、私の存在は世の中を良くしていくだろう。
とにかく私は正しい人間なのだ・・・
と、私の良い面を列挙してみるとよい。
次に私の悪いところだ。
もしかしたら、私は意地悪かもしれない。とにかく人に優しくなれないのだ。
機嫌の悪いときは不親切だ。時に不親切かもしれない。
私は極端にけちだ。人に借りたお金は返したくない。
人の成功がうれしくない。嫉妬心が強すぎる。
不幸な人を見ると安心する。感謝の気持ちを持ったこともない。
考えてみれば友人と話をするとき、いつも自分が話していて、人の話を聴いていないかもしれない。
人は私の事を可愛らしいと言っているが反対なのではないか・・・
人はこの様に自分の良い面と悪い面を認めている。認めていないとしたらその人は未だ幼児で5才以下の精神年齢と考えなければならない。
しかしながら、この「自分は絶対正しく、悪い面などあり得ない。もしそう他人が思うとしたらそう思う人が悪いので、自分は悪くない。」こんな人が多いことも事実である。
何人かの人の上に立って仕事する地位の高い人の中にも、このような方が結構いるものである。
そこで、自分とはどんな人間なのか、主観でなく、客観的に考えてみる。
しかし自分で自分を客観的にみることなど、到底難しい。
そこで人間は一人で生きているわけでないので、自分の周りの人達から自分を判定してもらう、批評してもらうことが重要となる。人の意見は一人でなく複数の方がよい。自分の良い点は別にして、悪いところを正直に言ってくれる人はいるだろうか。
これも捜すのは難しい。人はリスクを冒してまで真剣に自分の事を、まして欠点など言ってくれるわけはない。
そこで初めて、自分は何者であるか判断する道を失うことになる。
自分を信じて思った通りやる。猛烈に努力する。それは何人も敬意を表してくれる。仕事も成功する。
とにかくまっしぐらに何事もやる。しかし大失敗もする。
この失敗は他人が悪いのか、自分の中に問題があったのか。
他人のせいにする人は何も学ばないが、もしかしたらこれは自分にその責任があったのではと、考えれる人は成功への道を歩むことも出来る上に、他人の忠言を聴く耳が発達する。自分の欠点を言われて、楽しい人はいない。
しかし、大きな失敗を重ねた人はそれを聴く度量が大きくなる。
初めて、主観的にも客観的にも自分の姿が観えてくる。
自分の周りで起きること、取り巻く世界は、全て自分が創り出していることを悟るからだ。
自分が何者か知りたければ、他人の力を借りるしかない。
しかし、他人は力を貸してくれない。自分が与えなければ報いはない。
他人との付合は真剣さが要求される。
この人には忠告したほうが良い。欠点を教えてあげたほうが良い。
そうすれば、大きな反発を買う。大きなリスクを負うのだ。何事もしなければリスクはないし、誰にも喜ばれないことなどやらない方が良い。誰しもこう考えるかもしれないが、あえて挑戦することだ。虎穴に入らずんば虎児を得ず(リスクを冒さなければ何も得ることはできない)
リスクを冒しチャレンジしなければ、本当の友人も生まれないし、自分も成長しない。
人の欠点を言う時、初めて自分はどうなのだろうかと思う。
この人はこの点が悪く、問題があるのだと思ったら、腹に収めないで言葉にすることだ。思いもよらない反撃をくらい、友を失うこともある。
しかしここで去る者は友としての価値もないのだ。
成りたい自分の原点は、次の様に考えてみることは出来ないだろうか。
人間は一人で生きていない。社会、集団の中で生きている。
自分が世に存在することが、他の人達に取って有益であることが、その人の存在が意義あるものとして、他人から認められる。
仕事上でも、友人関係、親子関係でも基本である。
私が居るからお前たちが居るのではなくて、他人から認められて初めて自分が居るのだ。
自分の存在は他人が決めてくれる。
勉強が一番で、運動能力も一番で、美人、美男子で、仕事も誰にも負けない。
だから、私はいつもOK。価値ある人間であるとしても、他人からは嫌味なやつ。
鼻持ちならなくて、思いやりもない、自分以外は虫けらだと思っているやつとすれば、誰からも評価されないだろう。
狭いスポーツの世界や学問の世界では、No.1の特殊能力は他人からは大いに評価されるだろうが、一般人として社会に出た時に、その人が自分の栄光をいつまでも口にすれば、評価されることはない。狭い世界でも一流人の多くは、一般社会でも一流の確率は高いが、総べての人に当てはまるわけではない。
人はどんな苦しみも悩みも死んでしまえば何も無くなる、解放される。
自殺する人が絶えない。
しかし、考えてみよう。
与えられた生命。
自分の意志で生まれてきたわけではないが、自殺しなくてもいつの日か生命は終了する。考えれば胸が張り裂ける様な恐怖ではないか。
それでも人々はその事を知りながらこつこつと努力を重ねる。
だから人間はすごい動物なのだ。
人間としての度量を大きくすること(人を許す力)にはげみ、自分の存在が、人々から感謝されるような自分、駄目だと思った自分が、こんなに努力しているのだと、自分を誉める。お前よくやったな、と・・・
勇気も体力も知力もない自分が、それでも今日は勇気を出して体力知力の限りやった。
その努力、一生懸命さが人々に感動を与える。
自分だけの為でなく、友人、知人、自分の周りの人達の為にこんな自分でもよくやったと自分を誉める日々を続けることが出来れば、自分には嘘はつけないのだから、やがて成りたい自分の実像が見えてくるのだ。
自分ともう一人の自分が和解する、握手するとき、自己矛盾から解放される。
自分の成りたい自分に近づく瞬間でもある。
ニューヨーク出店秘話
2013年8月16日 貞末良雄のファッションコラム
New York出店は、何が何でも成功しなければならなかった。
日本人が西欧のシャツを売る。多くのアメリカ人はそれを不可能だと思うに違いない。
鎌倉シャツがどんなに知名度が高くてもそれは日本での事である。私がNew York出店を2008年に新聞発表したとき、取引工場も業界の方々も、恐らく誰も信じてはいなかったと思う。
私達が勉強して工場の皆様の技術を高め、そのシャツがファッションの世界でも、価値のあるものと認めてもらう必要がある。
鎌倉シャツは知名度が高いですと私達がいくら大声をあげても、New Yorkの人は誰も耳を傾けてはくれない。西欧や米国、とりわけNew Yorkを研究すればするほど、私達のNew York進出の正当性を主張するには無理があると考えていた。
折しも、弊社社長貞末民子がパリに訪問した際、こんな本がパリの有名セレクトショップで堆く積まれて販売されていたと一冊の本を持ち帰っていた。これが『THE IVY LOOK』である。
英国人の著したこの本が世界6カ国で販売され、IVY発祥の地アメリカでも話題となり、古きよきアメリカの復活、こんなテーマがファッションメーカーや若いデザイナーに強い刺激を与え、IVYブームが再来したのである。
IVYの事は理解している、何かのヒントがあるのではないかと、この本の1頁から目を凝らし舐めるように読んでいった。
ついに180頁に、『この本の資料の大半は日本に在った。IVYの世界は日本がそのルーツであり、それが西欧の起源であったとしても、このIVYの世界は東洋の日本が西欧に勝ったのである』と、更にそれを世に出した日本のVAN JACKET及び石津謙介に感謝していると、著者グレアム・マーシュさんは記していたのだ。
私はVAN JACKETに25~37才まで勤務した経験がある。その経験を彼に伝え、IVYの精神を語るボタンダウンシャツを贈り、評価に値するかを問い、彼が納得するものであればNew York進出への推薦状を書いて欲しいとお願いした。彼は私達のつくったボタンダウンシャツを高く評価してくれて、喜んで推薦状を書いてくれたのだ。New York出店、開店前の店頭告知看板にある文章は皆様もご存知の通りでしょう。
【グレアム・マーシュさんからの推薦状】
優れた著名な会社、鎌倉シャツがMADISON New York第一号店を出すという。
日本人の物づくり、精緻な技術、英国人の私にとっても、これは何の不思議な事ではありません。成功を信じています。
私はこの瞬間New York進出の成功を確信したのです。
2012年10月30日の開店には、グレアム・マーシュさんを招待した。
彼は1960年代のアメリカのもっとも栄光の時代の物づくりのすばらしさを知っている芸術家でもあった。彼には鎌倉シャツに出会えたことが運命的な衝撃であったように思えた。
彼の永年の願望、あの素晴らしかった60年代の製品を今の若い人達、またあの頃を知る彼と同世代の人達にも懐かしい商品を再現したい。
強い思いを実現しようにも、すでに米国にも英国にも、かつての製品を実現できる会社も工場もない。
鎌倉シャツに出会った彼は夢の実現をしたく、私に熱っぽく語った。開店記念のパーティでは私の隣に座り、当時のシャツのスケッチを描きながら永年の夢を語り始めたのだ。あまりにも真剣で、ワインを飲む時間もない。3ヵ月後2013年1月にはロンドンに行き、詳しい話をすると約束した。
ロンドンからは、当時のエクリュ(生成色)のオックスフォード生地、シャンブレーのシャツ地を探して持参するように…とすごい熱の入れようだった。
年初め5日、ロンドンのレストランでは食べるのも忘れ、持参した生地を触り、まさにこれだ!と叫んでいた。この時、鎌倉シャツとグレアム・マーシュさんとのコラボレーションがスタートしたのだ。
思い知らされた男の装い ~ニューヨーク所感~
2013年3月18日 貞末良雄のファッションコラム
ニューヨーク出店でつくづく思い知らされたのは、
服飾について知識があるのは、私達の様な業界人だけだと、自負していたが、
あの大味で細部への気配りなど無縁と考えていた彼らの中には、とてつもなく
凄い奴らが居たことだ。
男性自身のあるべき姿を追求をし、自分が他の人からどのように評価されているかを
考え、知ろうとする努力である。多民族で構成されている(UNITED)国であるから、
又、激しい競争に身を置いているから…であるが故にそれでも自分を証明する
手段の一つとして、人格がほとばしる服飾の重要性を認識している。
私は彼らの姿勢に対して畏敬の念すら感じている。
私達の店、商品に対するウェブ上で書き込まれている論評は、
すこぶる好意的で評価の高いものであるが、
メードインジャパンの素晴らしさや、今後の我々の(もっとアメリカを知ること)
勉強への期待に満ち溢れており、これ程までに情緒豊かな商品への期待と歓迎は、想定を超えている。
「胸ポケットが付いていることには失望したが、彼らは直ぐに解決してくれるだろう。」
「生地の光沢、衿の柔らかさは想像もしていなかった。」
注)弊社では接着していない、昔ながらの綿芯を使っている
「販売スタッフの親切、丁寧さ、
あの小さな店はグレートで、エレガントな店だぞ!一見の価値有り」
と、公平で暖かい様々なアドヴァイスを頂いている。
ニューヨークを、公務や商用で訪れる他国からの来店も多い。
英国、仏国、メキシコ、イタリア等からも是非とも、というお誘いも受けている。
日本人が知らない日本の力を知っているのだ。日本にはすごい力があるのだ。
こんな当たり前のことを、知らなかった自分が情けない。
反省と勉強に拍車を掛けねばならない。
彼らの装いの神髄は『上質なものは、あくまでもシンプルであるべきだ 』
その一言に尽きるという事を知っていることだ。
シャツの胸ポケットに物を入れたら、シルエットが美しくなくなってしまう。
上衣には、沢山のポケットがあるが、上等なスーツのポケットには物を入れない。
なぜなら、型が崩れるということを知っているからだ。
昨今の日本のクールビズシャツブームは、人格を貶めるものである。
シャツの衿が二枚になっていたり、色釦がついていたり、ボタンホールに色糸を
使っていたりする。
ICチップがついている社員証を首から下げているサラリーマン。
せっかく、スーツ、シャツ、ネクタイをコーディネートしていても、
赤、緑の色紐が全て台無しにしている。
便利がよく会社の都合で支給されるものに、何も考えず従う国民性には絶望してしまう。
クールビズもしかり、会社のTopがやるから無批判に右へ倣えである。
服装は自分の都合だけでない。相手への礼儀をはらうべきものと、いう事を忘れている。
会社のTopにある人が絶対に偉く、正しいとは限らないのだから。
まして、洋服の文化など、知識のないかもしれない会社のTopを、模倣するなど
甚だ自分にとって、リスキーな事と思ってほしい。
Topマネジメントの方々についてはこんな事を考えて欲しいものだ。
自社が海外と向き合う時に、服装はどうあるべきか?自己都合だけでよいのか?
外国語を修得する前に礼節だ。服装について考えを巡らせて欲しい。
ニューヨークジェントルマンは、まさにこの事の大切さを知っている。
プロの私達ですら、うかうかしてはいられない。
一方、私たちも、世界基準を越える商品を創り出す為には、
日本人は手先きが器用であるなどではすまされない。
私達と共に世界を目指そうと誓った工場の皆様にも、
現在の技術力だけでよいのか、考えさせられた。
ニューヨーク開店に駆けつけて下さった工場の皆様11社の方々にも、
さらに高いレベルの基準を設定し、挑戦して戴く事になった。
“百聞は一見に如かず”である。
現地を実感した人達は、新たな挑戦に奮い立っている。
体験する重要さが再確認される毎日である。
やってみなければ、進歩はないのだ。
【番外編:繊研新聞より】技術の高さに自信もて
2013年1月30日 番外編
《欧米市場に挑戦を》 メーカーズシャツ鎌倉会長
国内でのものづくりが進まないのは日本のアパレルメーカーが海外市場に進出する際、欧米の先進国ではなく、新興国を選択していることと無関係ではない。
当社は昨年秋冬、ニューヨークに海外初出店をした。米国人は大雑把な印象があるが、日本人が想像する以上に品質に厳しく、あなどれない。そういった中で、当社のメード・イン・ジャパンのシャツを高く評価してもらえた。
他のアパレルメーカーの経営者も欧米市場に挑戦し、肌で感じてほしい。
~中国市場でいいのか~
日本のアパレルメーカーの中国進出をジャーナリズムも評価する向きもあるが、洋服文化の後進国で成功したとしても意味がないのではないか。
欧米のアパレルも中国などアジアへの参入を強めており、日本が競争に負け、凌駕(りょうが)される可能性もある。
ブランドエクイティーも落ちかねない。
大半のアパレルはものづくりを商社に丸投げし、コスト増を回避してきた。
SPA(製造小売業)による原価率20%以下で粗利益率を6割残すという経営は、企業としては正しいかもしれないが、顧客にとって正しいのか。店頭でプロパー消化率50%を切る状況が健全をいえるのか。
セールの問題もしかり、アパレルメーカーの自滅の構造は「VAN」倒産のころから変わっていない。
日本市場が飽和状態だから海外進出するというが、まだまだやれることはあるはず。
ものづくりから真剣に取り組んでいるところが少なすぎる。
いくつかのアパレルメーカーでは、さらに国内工場を閉鎖するところもある。いくらメード・イン・ジャパンの良さを訴えてもむなしくなることがある。それこそ作り手と売り手がウイン・ウインの関係になるのは難しいだろう。
こういう状況でファッションの世界はハッピーなのだろうか。
~信頼関係が不可欠~
いいものを作るには作り手と売り手の気脈が通じてなければならない。「この人のためならここまでしよう」という信頼関係が不可欠だ。現在は単なる取引相手というだけで、効率を重視するあまり、作り手の意向も変調してしまう。
アパレルメーカーのトップが生産現場に行かないのも問題だ。作る機能に関心がない人が多すぎる。
このままでは作って売るではなく仕入れて売る企業になってしまう。
その際、安くて、納期どおりで、クレームのない程度の品質という低い基準になりかねない。
当社のニューヨーク店オープン時には日本のシャツ縫製工場やボタンや芯地など副資材メーカーなどパートナーである作り手のみなさん(25人)にも米国まで来てもらった。店舗のウインドーに飾ったシャツを見た米国人からは、「細かいステッチがきれい」「昔のブルックスブラザーズのようだ」などと日本の縫製技術の高さが注目された。
作り手のみなさんも自分たちが作った商品がトラッドの本場である米国・ニューヨークの消費者に評価されるのを目の当たりにし、理屈でなく「未来への光」を実感してもらえたと思う。