Maker's shirt 鎌倉

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NEW YORK 再確認 <私達は洋服の歴史の無い民族であること>


日本古来から受け継がれている固有の文化、衣・食・住という生活の背景は、高度に洗練され、情緒豊かな感性は精微な技によって、表現され、世界中の人々に受け入れられ、尊敬もされている。

食の世界は、まさにinternationalであり、住の世界も自然と共存する建築のスタイルは多くの生活様式に採り入れられている。

次に着物である。
これは芸術として世界に評価されているが残念ながら、日本でもそうである様に現代人の生活スタイルに浸透することが出来なかった。

第二次大戦の終了1945年と共に、焼け野原から日本は世界に追いつけ、追い越せと、猛烈に働き、服装は洋風化の一途をたどり世界経済の中で活躍するに相応しい服飾が進化することになる。

特にメンズウェアに於いては、社会的場面で要求される服飾のルールが厳然と存在し、脈々と受け継がれているのである。

私達のルーツは、何人もこのルールを伝承していない為、誰も教えてくれなかった。(唯一VAN JACKET創立者、石津謙介氏が、『いつ・どこで・なにを着る?』という著書の中で、西欧のルールを詳しく紹介している)、現代に至るまで、私達の着用する紳士服ワードローブは必ずしも、そのルールを守っているとは言えないのである。
西欧の人達から尊敬に値する服飾技術を持ち得る人達は、繊維ファッション業界に働く人達と言えども、その一部の人達と限られている。
日本には『ぼろは着てても心は錦』、着る服よりも心の清らかさ正しさを貴ぶ単一民族としての寛容な一面があるが、文化ルーツの違う、異民族間での交流では、こんなことは許されることはない。

1607年、スーツシステムを発明した英国は日の沈まない国として、世界を制覇する。彼らの着用する服飾が、経済性、活動合理性、さらにそのカッコ良さ(強い征服者がカッコ良く見えるのは当然である)、情緒性に於いても、世界基準になっていったのである。
従ってこの基準から外れていては世界的な場面で共通の目的の為に、活動する仲間とはみてもらえない。外来者の扱いに甘んじなければならない。少なくとも政府の官僚、経済界のTOPの方々は、かつての戦国武将の様に、その出立ちが一瞬で相手を圧倒しなければ、緒戦敗退である。

いかに服装が大切であるかを知らねばならない。
残念ながら、紳士服飾の仕事に携わったそれでもごく一部の人達しか、この事実を体験していない。
グローバル化が叫ばれている今日、紳士、淑女の服飾技術は学校の初等教育が必要である。
(繊維産業の衰退の一因も、この基本から外れ日本の技術や伝統工芸の力が、世界基準の生活スタイルに照準が定まらず、無駄な失敗を繰り返しているのではないか。現代の生活者が何を必要としているのか、その先にビジネスがあるのだから)

私達メーカーズシャツ鎌倉は、長い経験と研究の末、NEW YORK MADISON街、紳士服の聖地と言われる世界最高峰のマーケットに、シャツSHOPを2012.10.30 OPENした。
英国風でエレガント(グレアムマーシュさんのコメント)な高級感の漂う、清潔な店である。
客層はマディソン街で働く、マッドマンと呼ばれるジェントルマンである。
開店と同時にこんな人たちに買ってほしいと、心から願ったジェントルマンが来店する。
店の雰囲気が彼らを誘い込む。
ウィンドウのDISPLAYを見て、そのシャツのステッチが美しい、ネクタイはまさに正統派であると、口々に驚いた風で入店される。
値段などは一向に気にかける風でない。
ひたすら商品の完成度を賞賛し、必ず100%試着する(シャツを試着させないで売るなどもっての外だと、石津先生は口癖だったな~と思い出す)
この人達はもしかしたら、私達以上に服を知っている。何が良い服か説明する必要は全くない。これがNEW YORKの時代をリードするジェントルマンなのだ。身の引き締まる思いである。
聞けば彼らは、おはようの挨拶の後で、必ず自分の服の話、相手の服の批評が日常だそうだ。自分が相手にどう見られているかが重要なのだろう。ビジネスは一瞬で決まる。彼らは日々体感しているのだろう。

タバコを吸う人もいない。アメリカ人太っちょ、そんな人は入店して来ない。体は鍛えられている。超ビッグサイズ48cmNECKなどは殆ど売れない。日本の平均サイズよりは2~4cm大きいだけだ。
しかし胸板は厚い。

見事にスタイリッシュである。事前の調査データに無い人々である。
リーダーシップを持つ人、それを自覚する人々はアメリカ平均値ではなかったのである。
まさに私達が想定したお客様であった。

接客して冷や汗を二度。
ボタンダウン以外のシャツに何故胸ポケットがあるのか?
上衣に沢山ポケットがある。シャツにまで必要ない。そもそもシャツの胸ポケットに物を入れてスタイリッシュに着ていると言えるのかね?
ボタンダウンはヴァーサタイル(ドレスでもカジュアルでも着るから)理解できる。
英国人、シャツにポケットがある為、購入に至らず。
米国人、スリムフィットに胸ポケット。君の頭を疑うね。あるいは洋服の事知らないねと注意される。

次に私達はcmであるが、彼らはインチ(2.54cm)の世界。
私達はcmからインチに置き直した為に、1インチを3等分したSIZE表示をしてしまったが、彼らには体感出来ないSIZEとして、何故の連発であった。

日本ではシャツの胸ポケットが無ければ、買わない人が多いが、NEW YORKでは逆だ。
両者比較すると、シャツは最もスタイリッシュに着る、下着から進化したものでもある。シャツの胸ポケットにタバコを入れる。
最近では首から下げた社員証を入れる。
その吊り紐赤や緑で、折角のシャツ、ネクタイのコーディネートの上に赤、緑、紺の紐がぶら下がっていれば、服装全体がだいなしではないか。
彼ら一流のニューヨーカー達は、仕事の一瞬に服飾の力を利用し、自分がいかに誇り高き活力に満ちたセクシーな男であり、さらに相手から尊敬を集める人間であろうとしているのだ。

メーカーズシャツ鎌倉のミッション。
「世界で活躍するビジネスマンを応援する」
一層の啓蒙と、私達の社員全員の今一層の努力が求められる。

哲学の本は難しい<何故と問う事から始めてみよう>


哲学者は物事の本質を追及するとき、今までに考えられている、通念と成っている事象を根本から洗い直し、一歩ずつ、正確に、反証出来ない語彙で論述し、まわりくどく反復する為、読む方は疲れてしまう。
やがて何を語ろうとしているかさえ、判らなくなってしまう。自分の頭脳の回路がそれに追いつかなくなる。だから難しいのだ。

しかしこの通念を疑う事、当たり前と思ってしまっている事の中に、大きな誤謬が潜んでいたりする。私たちの上辺の理解を根こそぎ剥ぎ取ってしまう事もある。

だから、哲学者でない私達は、何故と問う事から始めてみたい。

子供は何でも「何故」、「どうして」と聞く。
そして成長する。

問うた数の多さと、正しい回答を得た経験の多さが、成長の度合いに関係があるのだろうか。

何故と問わなくなった時に、その人の成長が止まると考えられないだろうか。
老化現象は、何故と問う、考える事が面倒臭くなった時から始まるのではないか?
何故と問わない限り、回答は得ることが出来ない。

人の成長も企業の成長も、「何故」、「どうして」と正しい問いを投げかけ、正しい回答を見つけ出すことが進歩ではないのか。

成りたい自分、理想とする自分を思い描く。
そのあるべき自分と今の自分が、どこが違っているのか。それは何故か。
思い描く姿が遠すぎて諦めてはいないのか。
何故近づけないのか、近づこうとしていないのか。
そもそも、理想の自分の設定が間違っていたのか。
私は生まれてきて、何をどうしたいのだろうか・・・

会社についても同じようなものだ。
会社がうまくいっている。
本当にそうだろうか。このまま未来永劫にそうなのだろうか。何故うまくいっていると考えたのだろうか。うまく行っているとは一体何を持って、そう断じるのだろうか。

今はもう過去だから、未来は誰も判らないから。
今日、初心に一歩一歩努力を積み重ねる。
それしか人間のやれる事はないのだから。
いつも満塁ホームランに恵まれることはない。
うまくやれた昨日と同じ事を繰り返していて、明日は約束されると考えるのはあまりにも無謀だ。

もし会社がうまくいっていないとしたら、それは一体何故なんだろうか。
自分は間違っていなくて、周りのもの総てがこの会社を悪くしていると考えるのは正しいことなのだろうか。本当に自分は間違っていないのだろうか。

自分を含めて、一体何が原因なのか、うまくやれている同業者とどこが違うのだろうか。
そもそも自分の会社は何の為にあるのだろうか。
誰の為にあるのだろうか。
世間に必要と許されなければ会社なんて、うまく行くわけはない筈だ。

どこで踏み外してしまったのだろうか。
会社の存在が世間から許されたり、祝福されない限り、存在の意味がないとしたら、それを個人に置き換えてみたら自分は何なのだろうか。

会社と同じように、うまくいっている自分なのだろうか。そうだとしたら、このまま未来永劫に、と考えてよいのだろうか。

若くて美しくて健康で、ハッピーを謳歌しているとする。やがて歳もとる。このまま健康や美を保つのはどうするべきか。その時が来たとしたら自分をどの様に処するのだろうか。その時は絶対に来るはずはないと、無視してしまうのだろうか。

今の自分はどう考えても、うまく行っていない。
それは、他人のせいなのだろうか。
私は何の為に誰の為に生きているのだろうか。
山奥で一人で生活していないとしたら、人々と交わって生きている私は、必要とされる人間なのだろうか。人々から祝福され、なくてはならない人間なのだろうか。

何故と問う、正しい質問にしか、正しい回答は生まれない。
正しい問いとは何なのか。
皆様と毎日考えたいですね。

私のやさしい哲学(一時中断)


いよいよ、メーカーズシャツ鎌倉は、2012年10月上旬、
ニューヨーク・マディソン街(マディソン・アベニュー400番地 47丁目と48丁目の間)に
出店することになりました。

この地域はTRADITIONAL AMERICAN IVY Leagueスタイルの聖地である。
すぐ隣には、J PRESS、Paul Stuart、Brooks Brothersと軒を並べており、
向かいにはCharles TyrwhittやT.M.Lewin等のMen’s Shirts Shopが犇めいている。

Men’s街の真っただ中に突撃することになるのだから、あまりにも無謀、身の程知らずの謗りを免れないのは百も承知。それでも、私達は今こそ、私達の長年の勉強と経験、加うるに精微な日本人の物造りの技術を世界に証明すべく、挑戦を決意したのである。

日本に生まれ、日本に育てられた私達には、この大地日本に、何らかの恩返しで報いなければならない。今の日本の屏息状態、必要以上の自信喪失に、行動を持って示すことが何よりの刺激になるのではないか。

我々の様な小さな会社でも、何らかの行動を起こすことが出来る。
無謀ではない確信を掴み取る為に、どれだけの時間を調査、研究に費やしただろうか。

2008年に決意して、途中にリーマンショックにより一時中断したが、4年間は充分に戦端を開く準備が可能であった。
英国人Graham MarshさんJ.P.Gaulさん(The IVY LOOKの共著者)達からも、「VAN JACKET 出身者なら服の世界は、西欧に負けないくらい知っている。君たちの成功を強く信じている」と祝福と応援のメッセージも戴いた。

やるからには、必ずや成功を収めなければならない。
この地で大きな利益を目標としているのではない。
私達日本人が、歴史を持たない西洋の服で、私達の服飾に対する造詣や、セールをしない価格の信頼性を取り戻す新しいビジネスモデル、商人として在るべき姿を示したい。
乱れた商習慣に一服の清涼剤たり得たいと心に誓っている。

日本人として海外留学もしくは仕事で赴任した経験のある人間ならば、必ず外地で、自分が日本人であることを強く意識する。パスポートは日本人としての身分を保証してくれている。
外地にいる日本人は、「日本 頑張れ」といつも心の中で声援を送っている。
声援に応えなければならない。

自分は日本人なのだ。

その誇りを抱き品格を保ち行動する事が、その人を高めていく事になる。
海外での武器や財産はそれしかないのである。

私達の会社には海外留学者が10名以上在籍している。
今年も何人か入社を予定している。
彼らの海外体験は、まさにいま述べた様に海外に向かって、何か行動したいのである。
次の時代を背負う若者に、大きな課題を与えるのは、経営者の仕事ではないだろうか。

彼らと共に、鎌倉シャツを世界に!

折しも鎌倉の世界遺産登録は来年に迫っている。

私のやさしい哲学【3】(今回はやさしくないかもしれません)


「時間」

時間は全てのものに平等に与えられている。

メキシコに住んだ事のある友人から、
「メキシコ人は時間を降り積もってくるものと表現する」と聞いたことがある。
自分の肩に降り注いだ時間の重みをどの様に感じ、どの様な知恵とするか、
あるいは、慈雨の様にそれによって成長するか、いずれにせよ時間を重たく受け止めている様に私は思う。

一方、私達日本人は、時間は未来からやって来て、過去へ流れていく、川の流れの様に捉えている。川の流れはいつも同じ様であるが、決して元には戻らないし、同じ流れはないと昔の詩人が詠んだ一節がある。

あなたは時間をどの様に捉えていますか?

時間は相対的なものと物理学者は言っている。重力によって歪められるとも。
相対的と言えば、人間の一生を80年とすると、それは29,200日に相当する。
ハツカネズミの一生は20日である。生まれて成長して子供を作って死に至る20日間で、人間の29,200日分を経験する。人間の1470分に1である。

ハツカネズミにとっても1日は1日であり、1時間は1時間であるが、
彼らの1日は人間の4年に相等する。
私達より2倍近く長生きする象や鯨の1時間は、人間の2時間という事になる。1歳の子供の1年は、一生であるが、60歳の人の1年はその人の一生の60分の1である。だから年をとると時が経つのが早いと感じるのだろう。

相対性理論(アインシュタイン)によると、限りなく光の速度に近い乗り物に乗って空間を移動するとき、時間は限りなく進まなくなってしまう。
もし人間がその乗り物に乗って、一年経って地上に戻ったら(仮に地上の時間は50倍、50年経過しているとすれば)その人は50年後の世界に舞い戻ることになる。そこは未来である。

移動できる物体が、限りなく光速に近づく事はできないが、あり得ない話も理論物理学的には、実際に起きる話らしい。光の速度に近似値で飛び交う超素粒子の世界のことである。

理論的には、人間は未来に行けると言われている。
光のスピードと時間のスピードは同じ様に思えてしまう。
光には時間が無いことになる。時間はそんなものらしい。
光と同じ速さであれば時間は進まない。光の速さは真空中で1秒に30万km、地球7周り半である。光の速さはカウント出来るし、感じる事もでき、見る事も出来る。
しかし、時間は見る事も感じる事も出来ず、その速さは判らない。

実際に人工衛星での時間と地上での時間には誤差が生じている。それは衛星のスピードが速く、時間に遅れが出る。一方、地上の時間は地球の重力の影響を受けて遅れる。その差は1日に100万分の38秒と書いてあった。

こうなると何がなんだか、さっぱり判らない。体感できない世界だ。
時間と空間が一体で、時空と呼んでいて、時間は一次元のものだと。
時間は宇宙誕生と同時に生まれたのでしょうか???

時間は総てのものを成長させ、増大させ、最後に消滅させてしまうものなのでしょうか。時間は逆戻り出来ないのだ。
この様に不思議な時空に私達は生を受け、そして生まれて来て、よかったと思える。自分や自分の周りの環境を創っていけるのですから。

今日一日がすばらしく『自分自身に納得出来る事』が、与えられた時間を本当に享受している事になる。その時間を出来るだけ増やせる事が、素敵な人生だと、考える事は出来ないだろうか。
長生きとは『納得時間』の長さを比較すると考えてもよい。
人は素敵な時間は終らないで欲しいと願い、逆に好ましくない時間は、早く終わって欲しいと願う。当然の事ながら、楽しい時間を創り出す為に、人は限りない努力・苦難を受け入れて、やがて来るであろう楽しい時間を創り出すのです。

健康を害すると判っていても、その様な習慣から脱する事が出来ない人や、楽しく暮らす事を求め、心を鍛えない人は、持ち時間を早く消化してしまうことになる。と考える事は出来ないだろうか?
時間は私にとって、永遠の謎である。

私のやさしい哲学【2】(自分を磨く)


「全体を貫く一本の線」

それは自分の人生全体と考えてみると、若いうちは、全体の領域がさほど大きくない。
年を重ねて、自分の経験が既に被害者(誰々に何かをしてもらえる、又は要求する。自分が周りに責任を持っているとは考えていない)から、加害者(周りに起きていることは全て自分の責任として考える事が出来る)になってくると、自分を取り巻く全体も大きくなってくる。

この時、揺らぎのない信念を維持することが出来れば、その人はその人なりの哲学を持っていると言えるのではないか。

ほとんどの人は正義が好きである。
特に青年時代は、正義に心が燃えるものではないだろうか。
やがて歳をとって社会組織の一員と成ったとき、いつの間にか組織の基準を守ることが正義と思い込んでしまう。
いつの間にか不幸になっている自分を発見する。
上役の目をいつも気にしている自分。
間違っていると判っていても、組織を守る為に行動する。
不幸なことに、いつの間にかその行為に何の疑問も抱かなくなっている事だ。

自分は何の為に生まれて来たのだろうか。
誰に、何に、役立っているのだろうか。

もし、何もなければ、自信を持って生きているとは言えなくなってしまう。

自分はどんな人間に成りたかったのだろう。
考えて考えて、自分の信念、生きて行くことの意義を見つけ出し、それをどんな時にも守りたいと努力することが、その人の哲学となる。
思考しなければ、自分を取り巻く全体が見えて来ない。
ただぼんやりと昨日の続きをくり返していると、時間はあっという間に流れていく。
誰にも等しく1日24時は与えられている。大切に時間を使い、人から尊敬されたり、素晴らしい人と評価されるべく徳を積み重ねる人、成りたい自分を定め、自分を律して行く。
それが楽しい自分創りと考える事が出来る人。
その人は哲学を持っている。

他人の目は、ごまかせないものだ。
自分は最大限努力していると思っても、他からの評価を得られなかったとしたら、人を恨むのではなくもう一度自分をみつめ直し、誰よりも自分に厳しく考え、律することが必要になる。
服が自分に似合っているか、自分に徳が具わっているか、それもすべて、他人が決めることなのですから。


メーカーズシャツ鎌倉株式会社
取締役会長 貞末 良雄

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