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メンズファッションの起源【2】
2011年5月9日 貞末良雄のファッションコラム
この時代、シャツにはいまだ綿素材が発見されていないので、もっぱら麻やシルク素材が使用されていて、白地に美しい刺繍などを施した装飾的なものであったと考えられる。
スーツの発達とともに、シャツはその装飾性をはぎ取られ、派手派手したものでなく、シンプルな中にもその品性や粋(イキ)を極める、スーツシステムにあって重要な役割を担うようになったのである。
一見して目立たないが、その感性の持ち主しか理解することが出来ない、控え目でいてその秘めたる個性をほとばしらせるような服装術。
これが粋(イキ)の極限として高く評価されたのである。
やせ我慢の哲学が男のあるべき姿であるダンディズムと昇華し、やがて、 英国の紳士たるべくジェントルマン道として確立して行ったのだ。
男は女性の服装と一線を画する道を選び、その姿が世界基準のスーツスタイルと発展し、そのスタンダードな装い術こそが、国際社会で通用する着用マナーとなったのである。
メンズファッションの起源【1】
2011年5月9日 貞末良雄のファッションコラム
スーツの起源は1666年10月7日。
当時イギリスの皇帝チャールズ2世が、宮廷における服飾が華美に走り、その倹約令ともいえる「コート」「ヴェスト」「ホウズ又はブリーチズ(半ズボンのこと)」をもって宮廷の正装としたことにあると言われている。 (「スーツの神話」より)
この時から、もしかしたら男性は、女性と同類のファッションを楽しむことを諦め、この三つ揃いのスーツシステムを進化させると同時に、男の服飾雑貨等に限りなくこだわりを持ち続けるようになったため、これらのアイテムが見事に進化したのではないか。
現在、英国ロンドンに残るジャーミンストリートに、これらのこだわりの男の装飾品を求め、 世界のジェントルマンが集まり、賑わいをみせている。
男性がファッションを諦めざるを得なくなった、その曲折した心理は、この決まり切ったスタイルにあらゆるエネルギーを注ぎ、ファッションの代わりにダンディズムという、「やせ我慢の粋(イキ)」を服飾術として昇華させていったと考えることが出来る。
当然、黒のフロックコートの袖口からのぞくシャツの白いカフスは重要なポイントであり、宮廷の正装としてフォーマル性から、シャツは白が基本であったことは言うまでもなく、 白く清潔に洗濯することに苦労が窺える。そして、厚く糊付けする洗濯方法が生まれた。