Maker's shirt 鎌倉

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失敗の本質


野中郁次郎著 『失敗の本質』 は、30年も前に読んだのであるが、未だに脳裏に焼きついて忘れることが出来ない。 人間の愚かさが自身に振り返り、反省を迫ってくる。

勉強し、努力し、知識を詰め込んで事に当たるとき、自分の正しさを強く意識するようになる。
TOPに立ち、自分の正しさを論理を並べて主張するとき、誰もその人を諫めることが出来ない。

この本では、明治時代の軍のTOPは多くの実戦体験の中から空気を体感し、勝機を察知することができた。理屈抜きの判断力は、現場の体感を幾度も経験することである。
昭和の軍は、頭脳明晰ではあるが経験の乏しい本部要員が、論理的・帰納的手法で机上で戦略決定した。
そこには「体感した手痛い失敗の本質を捜す」という思考回路は入り込んでこないのである。

安倍政権が参院選で負けたことは、どうもこの失敗の本質を自らの判断基準として持っていなかった。
一方、小沢民主党は現場の空気を読みきった体感主義が勝利したのである。

上述のことを今日本の私達アパレル業界に当てはめてみよう。

人々の欲求は日々変化している。
その変化の背景にあるものは複雑・多岐にわたり、論理的に推論するとしてもその一端しか捉えていないのかもしれない。
人々の欲求に応える為に物作りするとき、私達産業人の指導者がどれだけ現場・現地(原材料の)に立って仕事しているだろうか。

生産の現場に関与することなく製品が出来上がる。
言葉は美しくコンセプトを語り、FASHIONを謳う。
コストと納期(安くたたいて仕入れ、販売のタイミングに合わせて何がなんでも納入させる)

こんなことがまかり通り、売り場の商品が同質化する。
レーベルを外せばどこの商品か判らない、個性や主張のない商品ばかりである。

デパートの売上減少に歯止めがかからない。
売場維持のためには、売上額と差益の絶対死守が出世街道となる。
本質が見失われ、現場あるいは商品すら見ることなく、ますます机上の計算(エクセル表)論理的・予算達成方程式で仕入れが行われる。

もう自分だけ良ければの世界である。
それでも泣く子とビックバイヤーには勝てない。
行く末が地獄と分かっていても引き返すことができない・・・と、納入業者の嘆きが聞こえてくる。

今私達の回りのアパレル社会では、まさにこの失敗の本質で語られた、失敗の道をまっしぐらに突き進んでいるのである。
なまけ者の私でさえ、麻の生産地・綿布の紡績の現場・ニット産地の現場を歩いている。
その現場の方々の日々の努力、創意工夫、勇気あるチャレンジ。
それらに触れながら、感動し、共感し、喜びを分かち合う。
縫製工場の皆様にはミシンの一針に 『あの会社のため』 という入魂をお願いできないかと考え、スタッフ総動員して意志疎通に努めている。

人間と人間が作り上げていく社会である。
人間と人間の関係を無視して数字や物だけが動き、その上に商いを組立てているとすれば、震度1や2の揺れでその仕組みは瓦解してしまうだろう。

私達のような小さな会社が、素材の調達で日本で一番と言われる方法を実践し、リスクは背負うけれどもそこで初めて皆様に喜んで戴ける。
質と価格を、現場に立って、皆様の立場に近づいて達成しているのである。

リネン・カシミヤ調達の旅から帰って、その思いを書きました。

英国紳士が泣いている?


それにしても、凄まじい勢いでメンズドレスシャツのデザインヴァリエーションが拡がっている。
クールビズに始まる男のオシャレ、シャツ姿、正統なシャツ姿では変化が少ない。

だからと言って考え出されたのが、婦人服に見られるようなルールの無いデザイン、衿型、ボタンステッチの色糸。
アッと驚くボタンダウン、クレリック、ダブルカフス。
正統的なシャツ(英国で育った、歴史を生き抜いた究極のデザイン)を一品料理とすると、まるでこれはオジヤの様なもので、何でも有りのデザインだ。

勿論、どんなデザインも自由であり、着用する人がそれを好めばそれを否定することは出来ない。
かつて紳士服スーツの発生の地英国でも、長い歴史の中でこの様なことは度々あったと推察される。
しかしながら、紳士服は社会的規範の中で、双方が認め合うその人の品格の証明であり、対峙する相手への礼儀であるとして、服飾は発達し、受け継がれてきたのである。

男性が女性化する現代であるから、ドレスシャツがルール無く派手派手しいものになるのだろうと考えてはみるが。

男性が女性から尊敬され憧れを抱いてもらえるのは、その男性の内なる要素によるもので、その身体を包み込む服装に威厳と品格が求められるのはごく自然なことである。
自分が好きな服を着て、それが他人の評価を得ているに違いないと思い込んでいる人達が、良いと思って着用する。
観る人が見れば、なんと場違いで奇妙な格好に見えているのである。

テレビに出演する紳士の方々の服装や、若者相手に販売する紳士服を見て、英国紳士は泣いているかもしれません。

今の現象は、紳士服発生の地の英国の人達、その伝統を受け継ぐ米国や仏国の人達からどの様に評価されているのだろうか?
売らんがなという業界の流れは、全く自分勝手な行動になってしまう。
その販売方針には哲学のかけらもない。
日本人が国際社会で評価されるべき姿は何か。
こんな考えは毛頭ないのかもしれないし、一方どんなスタイルが正統的であるか知識もなにもない企画者がなさる業なのであろう。

こんなこと嘆いているのは私一人なのであろうか・・・・・

Back to basic


私達の会社は、イギリスの紳士服に学ぶことを原点としてスタートした。

イギリスは紳士スーツを1667年に発明し、350年もの間進化の歴史をたどることになるが、服飾の歴史の中で350年も続いて全世界で着用されている服種も例をみないのではないか。
その経済性・効率、全天候型であり、体型になじみ活動的で、何よりも男性を逞しく知的でセクシーに見せる事が全世界の人々に支持されたのであろう。

紳士スーツシステム(上衣、ベスト、トラウザーズ、シャツ、ネクタイ、ベルト、靴)は、その時代時代の人々に支持され現代にまで続いている。まさに「CLASSIC」なのである。どの時代にも人々に支持されたが故に生き延びて、現代ではそれを、音楽と同じように「CLASSIC」ということになる。
音楽もその基本旋律は変わらないが、楽器の発達や音響効果の進化を含め、演奏家や指揮者の時代の背景を上手に反映させたからこそ、その永続性が保たれたと考えることができる。
私達の会社も、単純に過去返りするのではなく、クラシズム(基本)を保ちながら時代のセンスを巧みに取り込んでいかなければならい。

売らんかなの姿勢が強すぎる。
売れているものが正しいということに成る。

時代の要求は必ず変化する。その変化の一部を全体としてしまうマーチャンダイジングは、私達の築いてきた、長く支持して下さった人達の信頼を裏切ってしまいかねない。

お客様に信頼を戴き、製品に対する、あるいはストアに対するロイヤリティーが高まり、メーカーズシャツ鎌倉がブランドロイヤリティーを持ち始めているこの時期に、私達はもう一度時代のセンスを吸収しながらも『Back to basic』を強く意識したい。

私達が鎌倉のコンビニの2Fに16坪のSHOPをスタートさせたときは、「メーカーズシャツ鎌倉って何ですか?」という時代でした。
西欧のレーベル名しか受け入れてもらえない時代。
ブランド名は「Bow Bells House(ボウベルズハウス)」であった。
和製の「鎌倉」が通用する理由もなかった。

あれから15年。

ひたすらに良いシャツを一生懸命作り続け、シャツ製造にたずさわる全ての会社の人達と、信頼を裏切ることの無い公平な取組、翌月現金で総ての仕入先様へ全額支払い続けることで、小さな会社が信用を得る事ができ、製造企画、販売の総力が信頼の輪となって、メーカーズシャツ鎌倉が初めて日本人の手で、西欧の発明である服飾のブランド化を実現しようとしている。
これこそが創業の時の祈願であり、夢であった。

創業15年にして私達は 「Bow Bells House」 から 「Maker’s Shirt 鎌倉」 ブランドとして、新しい挑戦を始める。

幸いにも、TEXTEQというブランドでスタートしたジャケット・トラウザーズは高い評価を得る事ができ、業界の著名な方々、政府の高官の方々への服飾提供をさせて戴いており、私達が夢とする全服種のみならず、私達メーカーズシャツ鎌倉が描く世界観を提供出来るべく、将来の夢を進化させたい。

このアーティクルは私が年頭の決意で語ったことに関連しており、私達グループの社員を含め、経営する私の決意表明であります。

2007年5月14日    貞末良雄

新年のご挨拶


創業して14年。
ついに直営10店舗目を新宿三丁目イーストビル(シネコン、丸井のあるビル)1Fに、来る2月9日(金)開店に漕ぎつけた。
素晴らしい店を作る事が出来たと、少し自負している。

私達は資本のない夫妻二人からのスタートであったが、大勢のお客様に導かれて今日があります。
一日一枚しか売れない小さな店から、今では一日1000枚以上ものシャツを販売する店に成長させて戴いたのです。
お客様の期待を裏切らない為にも、毎日毎日一生懸命に価値ある正統なシャツを作り続け、更により良い物作りをと努力しております。

私達が思い描くお客様。
それは私達の思いをしっかりと受け止めて下さる方々。プライド高く更なる向上心と高い自己実現を目指し、世界のどこでも活躍出来る方々。
こんな方々に私達が想像した通りの着こなしをして下さる、そして満足して下さる。
本物が判る人達との共同事業の様にも思えるのです。

本物とは。
正統的なものとは。
品格ある商品とはと思いをめぐらせ常に哲学する。
こんな経営姿勢を持続させたい。

順調にやって来れた甘えがあってはならないと自戒している。
今年は今までに蓄積した会社の総力を出し切って更なる技術、ノウハウ取得の為の投資を惜しまず、新たな10年に向かって突き進む所存です。

限り無いお客様の満足に応える為にも、企画し販売する私達は、商人としての誇りをもち、お客様への満足を提供するために創造とリスクに挑戦を続け、縫製する工場の皆様、シャツ生地を織り上げて下さる工場の皆様と販売する私達が強い絆で結ばれ、支持して下さるお客様と輪に成って、さらに大きな輪として拡大していく様な、そんな重要な一年になるように考えている。

日本男子の忘れ物


私の会社は世界で活躍するビジネスマンを応援する事をその目的の一つにしている。
仕事柄、多くの業界のTOPの方々や、クールビズが始まった頃から政治家の方々まで、服飾のアドヴァイスをする事が増えている。

そんな活動を通してまことに残念に思うのは、皆様に日本には洋服の文化はなかったという認識がない事なのです。
洋服の効用やマナーに関する知識の欠如なのでしょうか?

服を着る、着飾る、すなわちオシャレをする。
それはFASHIONする事であり、男性も女性も服を着る目的が同じと錯覚しているのです。
何度も言うように、女性は美しくあればよいのです。
極端な言い方をすれば、シャネル5番だけでもそれは美しいという事で容認されるでしょう。

例えは極端であるが、女性の着飾る、FASHIONする事と、社会人としての男性が求められる要素は全く違っているのです。
当然社会進出した女性がソーシャルな場面で要求される服装にも、それなりの節度が必要です。
男性の社会的な場面で要求される服装は、私達日本人が西欧の社会と交流を持つ場合、日の沈まない国 大英帝国が歴史的に積み上げてきたウエストエンドルールが基本であり、どの欧米諸国もそのルールを踏襲しているのです。
このルールを外してしまうと、彼らから対等の扱いを受けることは期待できない。

男の服、スーツを中心とする服飾はあまりにも変化に乏しい。
それ故に微細な事にこだわり、頭の天辺から足の爪先まで全体が美しく調和の取れたスタイルが望まれる。この調和の達人が粋な男性であり、そのにくいばかりの気配りと、その涙ぐましい努力をもってダンディズムと呼ばれる所以なのであります。

社会に出る前の男性は社会的な公の機会が少ない。
従ってルールの無いカジュアルウェア等で女性と同じ土俵でオシャレをすればよい。 女性に負けない化粧をするのもよい。しかし一旦社会に出る関門ではいきなりリクルートスーツスタイルを着用する。
考えた事も無く、着用した事も無いスーツ姿に成る。
何でも良いから上下揃いのスーツを着る。そして試験には合格して会社に入ってくる。
会社にはスーツ姿に白いシャツ、地味なネクタイをしていれば皆に紛れ上司にとやかく言われない。上司もそれ以上服装に関心があるわけでない。そんなスタイルが日常に成り、何の疑問も持たなくなる。
こうして日本の男性は、服の魔力、自己を主張する最大の武器を放棄することになる。

社会進出した以上そこは戦いの場であり、海外とビジネスを、政治活動を展開するとすれば対峙する相手を初対面で威嚇、もしくはこちらの品格を認識させる必要がある。
まずそれは服装に始まる。 この初対面の印象の重要さは、誰もが知っている。

日本人対日本人であれば、相手のレベルによっては事無きを得ることもあるが、欧米の彼らとの対峙は厳しい選別の目に晒される。
『オヌシ出来る』
と思われなければ、語学が巧みであってもネイティブスピーカーでない限り説得力は無残にも失敗という事になる。

明治の始め、公式の服装を洋服と定めた当時政治家の方々、産業界の新しい担い手の方々、上級官史の方々。
それはそれは服飾に気を配り、研究を重ね、どこから見ても誰からも『流石』と言わしめる服装を心がけたのでした。
それは対峙する相手への礼儀であり、特に列強諸外国に接する場面での弱国日本の緊張振りが、服飾への最大の気配りが推察される。

『臆しまい、負けるものか、勝たねばならぬ。』

服装は大きなプロテクターであったのです。
それ故に人の上に立つ人々、それを志す人達は服装に投資し、その効用、見返りを認識したのです。

現在の私達の周りにこんな思いで男の服装を考えている人がどれほどいるのでしょうか。
先達が残してくれた遺産は戦後と共に飛散したのでしょうか。

弊社のNETで買物をして下さる大阪の弁護士さん。
大手会社の知的所有権訴訟に係わっている方の嘆き。
日本の弁護士5人、米国5人、法廷での第一回顔見せの場に臨む。
相手5人の目も眩む服装に圧倒される。
誰の目にも洗練され高級感に裏打ちされたバランスの良さ。
それに引き換え、日本弁護団のみすぼらしい事。
一ラウンドノックアウト。

今まで1勝10負。負け続きだ。
それでも未だ外見改革は恥ずべき行為と頭の良い人は考えている。
服装の魔力を信じようとしない。

男の品格の為に知っておきたい事


オシャレに関心もなく、センスに自信の無い男性は、自分の服装については女性にアドヴァイスを受ければ安心と思っている人が多い。
果たして女性に自分(男性)の服飾コーディネートを任せて良いのでしょうか?

男性の服飾は、ソーシャルな場、ビジネスの場、フォーマルな場面でお互いが納得する着用のルールが残っている。
このことはとても大切で、服飾が著す外見が、相互の共通の価値観を持っている者同士としての証であり、その人の背景にある生活や価値観、美的センスを探りあてることの出来るものでもあります。
男性洋服の世界は、このようにその人の価値を一瞬にして外見で判断されてしまいます。
普段に、その人個人の生活の中で着用するカジュアルウェアとはまったく別のスタイル表現が、
男性の服装には、求められるのです。
『ファッションではなくスタイルが優先されます』

一方、女性の服飾は、社会規範の様なものに準じるよりはより美しく、セクシーで、ファッショナブルであることが求められます。
かつての女性の大半は社会進出する必要もなかったし、それは不可能な世界でしたから。

このように考えてくると男性のビジネスの場面、すなわちお金を稼ぐ場面での服飾については、大半の女性がその必要性も、知識も持ち合わせていないのはごく当然の事であります。
しかしながら男性は服飾のことについては盲目的に女性のアドヴァイスを信じているのであります。

私の店で買い物される、若いアベックのシャツ選びに遭遇すると、思わず女性を怒鳴りつけたくなります。
女性にとっては、彼氏がいかに可愛く見えるかが基準で、男性がネクタイを選んでも、選んでも「それ可愛くない!」と全否定です。
これに易々と従う男性にも失望します。

男は何が説得力のある服装であるかを、もっと勉強する必要があります。
女性に選んでもらった格好でゼニが稼げるのか?と、一度で良いから疑問を持ってもらいたい。
女性は男性の服装の事は、分からないものと考えて欲しい。

クールビズが昨年、大きな話題を浚った。
今までかあちゃんや娘が、お父さんの服を購っていたが、それは、ウォッシャブルの白いワイシャツとグレーのスーツであった。しかし、どうも今回はこの服装ではさすがにとうちゃんも恥をかくかもしれない・・・。とは言っても私たちは、このクールビズについては分からない。
「今回はあなたが自分で買いなさい。」
ようやく、とうちゃんは、夏のクールビズは自分で購うことになったのである。

あちらこちらと廻って店員のアドヴァイスを聞いてみると、どうも自分は今までとんでもない格好をしていたのではないか?
(勧められたシャツは今まで着たこともない・・・心の奥底ではあんなシャツ着てみたい・・・でも自分はセンスも悪いし、もし女房、子供に笑われたらどうしよう…)
しかし今回はあのセンスの良い店員さんが100%保証してくれた。
意外と思ったより自分に似合うではないか、会社の女性にも誉められた。
どうせうちの亭主など何を着たって似合わない、そう思ってあなたのお金を稼ぐための服が購入されていた。
そして、その服では誰も説得出来なかった悪循環サイクルにあなたははまっていたのです。
どうか男性は熟練された、あるいは服を良く知っている男性からアドヴァイスを受けて購入し、着用している服を必ず批評してもらうことをお勧めします。

朝の挨拶は服の批評から。
男性の復権のためにも、モテるオヤジに成るためにも。

スーツに白いスポーツソックス編


これほど国辱的な格好があるだろうか。
社交的場面で着用する服装にスポーツタイプの靴下が組合せとして良いか悪いかぐらいは判断できそうなものである。

先日、私の会社が低い粗利益でも経営が正常で成長しているという理由で織物工業の方々に講演することに成ったのですがその時対応に出てこられた地域の世話役で経営コンサルタントの先生がなんとスーツに白いスポーツソックスでありました。

私は話をする前に大変なショックを受け、まだまだ日本はこんな程度なのか。
国際社会で闘う日本人を夢見て(当然、欧米諸国のビジネスマンに負けないワードローブを身にまとい)シャツ屋を始め、せめてシャツだけでもとお願いだから良いシャツを着て欲しい・・・。
私の夢は未だ遠くにあるのだ。講演の気が萎えてしまったものです。

白い靴下はスポーツの時にだけにして欲しいのです。
VAN JACKETが全盛の頃ライン入りの白いソックスを売りました。
これはショートパンツまたはコットンパンツにライン入りの白い靴下、トップスにはマドラスのジャケットやヨットパーカーなどの躍動的なリゾートや若者のタウンウェアとして提案されたものです。

その後全国にあるVAN SHOPはこのライン入りのソックスを3足1000円で売り始めました。
ですからVANイコールおしゃれと思った人達はスーツにもこのライン入りソックスを穿き始めたのではないでしょうか?
VAN JACKETの思いもよらない失策でありました。

先日カフリンクスの仕入先である英国人のマネージャーが来日されスーツに白い靴下を見た時の驚きは私の比ではなかったようで
東京は世界でも先進の都市で・・・。
奥様や友人が注意しないのですか・・・。

英国でもイタリアでも勿論アメリカでも男性同士が今日の服装を批評しあいます。
今日のシャツ素敵な色だね。
君の靴、服装によく合ってグッドだね。どこで購入したの?
そのネクタイ少々場違いだね・・・等などなのです。

私たち日本人男性は業界の人でない限り人の服装にコメントすることはまったくありません。
だから若さを失うにつれて男は服装に何の意識を払わなくなります。
これではモテるオヤジには成れません。

こうなったら女性の方々にお願いして男性の改造を考えなければならないのかな・・。
でも女性には本当に闘う戦闘服としての男のスーツ、シャツ、タイ、シューズの着こなしが判るはずもないのです。

番外編


私の勤務した会社の社長であり、私の人生の師でありました石津謙介先生が5月24日、93歳で永眠されました。追悼の言葉を以下、ご紹介致します。

「石津先生、さようなら」MFU理事 貞末良雄

どの角度からでも発想が拡がり、80歳になられたあの頃も、年間100冊の本を読み、その時代感覚は鋭敏で若さ溢れていた石津先生は、私が会ったどんな人よりも凄いお人でした。どれだけ教わったか数限りありません。

VANが自分の思う方向と違って、どんどん大きくなる。一体何が起きているのか。商品倉庫に来られ、「貞末君、こんな物が売れるのかね。」とタオル地Tシャツを手に取られ、またBAGの強度と確かめて、思い切り引き裂いて見せる。見事に裂けたBAGを見て嘆息された。その時、どうして?という思いが強くあったのだと思う。課長職以上の中間管理職に、この会社をどうするべきかとレポートを求められた。
私はどうしても読んで欲しい数項目の提案書を、敢えて藁半紙に4Bの鉛筆で箇条書きに提出した。すぐに呼び出され、レポートの束から私のレポートをいち早く手に取られた。常識に促された一般論は不要であった。60通のレポートの細かい字、そんなレポート等読める筈もない。大変お褒め戴き、勇気と物事の本質を見極めること、私の進むべき道を示唆された。

同じようにレポートを倒産後の会社で試みたが、上役を愚弄するのかとひどく叱られ、危うく首を切られそうになったものだった。常識や定説を嫌い、新しい知恵と創造に挑戦された。
でも、自分の会社が一体どうなっているのか。多勢の商社の管理部隊が応援?に駆けつけ、また総評系の組合が跋扈した。私は時々呼び出され、赤坂東急ホテルの地下の中華街で会社の現状をご説明する。別世界の物語を聞く様に熱心に耳を傾けられた。終わりに何時も長嘆息された姿を見て、私はできる限りの努力を胸に誓ったものでした。

しかし、78年にVANは倒産。暫くしてお会いした先生は大きな悲しみの中にあっても、比較的お元気で、「私の人生の残りは私の門下生に捧げるつもりだ。いつでも私に出来ることは何でもする、遠慮なく言ってくれ」と。大勢の門下生が知恵やアイデア、励ましの言葉を求め、門を叩いたものでした。

2003年3月19日、大阪VAN同窓会を企画した。大阪支社は260人中100名もの参加、東京在住、元大阪出身者の20名もやってきた。そしてそれぞれ壇上に上がり、私達の人生の総ては、VANから始まり、教わった事、体に染み付いたVAN文化によって生計を立てることができたと口々に感謝の言葉で、会場は興奮のるつぼと化した。憎しみや悲しみの恩讐を越えた邂逅であった。

東京本社での集いにも全国から300~500人の卒業生が参集する。倒産した会社のOBが、こんなに喜んで楽しく集まる会社、そんな例がこの世に在ったのだろうか。VANの底知れぬ魅力、それは石津先生そのものであったのです。
約3000人はVAN学校の卒業生として業界に玉と散った。里見八犬伝に準えてみるように、石津先生の教えを携えて、FASHON業界の新たな飛躍を促すべく、門下生は玉となって業界に吸い込まれていった。VAN卒業生は業界の至るところで活躍している。

すなわち石津謙介先生の分身は、先生の教えを業界にあまねく伝えたのである。石津先生こそが、20世紀の我々の業界のGIANTであり、500年後になっても、この時代の巨人として語り継がれ、唯一人の歴史上の人物となっているのである。そして私たちVAN卒業生の心の中に、いつまでも生き続け、私達の後輩、子供達にこの思いが引き継がれていくだろう。

石津謙介先生有難う。

オジさん改造編


私の友人(テニス仲間)気象学者の小山さんが、ある時、「貞さんのメンズファッションの基礎知識は、ちっとも基礎でないよ。私達の様に、自然の中で、地球の気象を観測している者にとって、とてもむつかしい。業界の人達なら判ると思うけど・・・。」
小山さんは、とても素敵な人で、山や谷、時に北極で生活していても、平時はいつもおしゃれを心掛けている。
でも、一体、何がおしゃれなのか判らないから、その辺について誰にでも判る話をして欲しい。

マイッタ、これは大変な事に成った。
筆が止まってしまったが、約束だから書かねばならない。
「オシャレは、オシャレを心掛けなければ、オシャレに成れない。中年を過ぎると、男性は体形がくずれ、ほとんど諦めてしまう。妻が買ってくる服を、盲目的に着用する。せめて、清潔にだけは心掛けるが、妻が・・・。」

意を決して、自分で旅行着や行楽の為に、カジュアルウェアという物を買ってみる。
思い切って買うから、少々派手なものに手を出してしまう。店員の煽てに乗って、借りてきた舞台衣装の様に成ってしまう。
誰も誉めてくれない。
増々自信を失ってしまう、こんな経験は、誰にでもあると思うのです。

服装は全体のバランスですから、他人から眺めてもらって格好良いのが一番です。
勿論、その他人がセンスの良い人でなければなりません。

注意事項のひとつに、「自分が好きな服ほど似合わない」。

これは、私達の経験値で言われており、かなり重要なことなので記憶しておいて欲しい。
特にカジュアルウェアの様に、着用にルールの無い服装はむつかしい。
その人の感性も問われるし、体型という曲者が邪魔者であるし、何しろ、安上がりに全体をまとめてしまうと、全体がとてもチープ感(素材の光沢感、手触り、縫製のグレード等)が漂う。

服が安い時は、すごく高級な靴やバッグ等の装身具にお金を掛けて、バランスを取る事が重要になります。全てを安物でまとめると、体型でカヴァー出来る若者の肉体のフレームでもない限り、とても貧相な人に見えてしまいます。

オジ様はオシャレする イコール 派手な柄物を着る、と信じ込んでいる人が多いのは、大変残念であります。
上質な無地を上下で着用することがどんなに格好良いか、認識して欲しい。
重要なのは、上下とも柄ものを着用しない、上が柄の場合、その柄を抑える為の下を選ぶ。
ボトムスは、ベージュ、カーキ、白、紺、黒が良い。
下が柄もの、昔のプロゴルファーで、ださい言葉の代名詞にもなったように、大変にむつかしい。
無地に近いくらいの柄ものが良い。
柄が一人歩きするような派手なものは、オジサンは絶対辞めた方が良い。
柄物の上は、白・紺・黒のように、色が自己主張しない色にする。
黄・ピンク・赤・グリーン等は、色柄のボトムには、よほど注意して、色合せしたりしても、達人でない限り、お薦め出来ない。
靴下はTOPSの色に合わせて着用すると、上質な靴からちらっと見えるその色がコーディネイトされている為、センスが光って見える。
カジュアルだから何でも白い靴下というのは頂けない。
大きなワンポイントや、汚れの目立つ白靴下は、全てを台無しにします。

カジュアルウェアの初歩的な注意として、上品な色は、素材が良く無ければ出ないのです。
オジ様が上品に見えたいと願うとすれば、出来る限り上質な素材を選んで下さい。胴廻りがかなり太くなり、足の短い人(私の様な)は、カジュアルウェアとしてジーンズを穿く事もお薦め出来ない。
ジーンズを穿く場合は、洗濯石鹸の香りのするもの、すなわち、洗い立ての、くたくたになっていないものをタイトフィットに着用する。
尻や膝が抜けてきたら、穿いてはならない。
すぐに洗濯して下さい。
そして、ジーンズは特別にベルトが目立ちます。上等なジーンズに合うベルトを着けます。
間違っても、スーツ用のベルトを使わないで下さい。
みじめな姿になる事を保証できます。

~SHOES~


日本男性の70%~75%は自分で着る服を自分で購入しない、と言われている。

その証拠に、デパートや量販店では、その買い物は主婦に委ねられている。
他人が買って来てくれた服でも、少々サイズに違和感があっても、我慢する事は出来る。
しかしながら、靴だけは、サイズの合わないものを履くと、痛くて、我慢する事は稀であろう。
従って、どんな人でも、自分の靴は自分で買う事になる。商談や交渉に足元を見られ、譲歩を余儀なくされたり、相手の足元を見て、攻め立てる事が出来る。
足元は自分の強みでもあり、弱みでもあり、不安要因でもあるのです。
この足元は他人の所為にする事は出来ない。自分の足元は自分で固めなければならない。

ビジネスの世界でも、その他ソシアルな場面で、「くつ」の履き方が重要である事は理解されてきたと思う。
スーツやジャケット、パンツを着用する社会的場面では、革靴はその人の人品骨柄を語る。
その人が英国調の服装をする人、イタリア調の服装をする人、それぞれ、前者にがっちりした靴、後者は繊細な、しなやかな靴を履く事になる。

細かい着用の方法は、オシャレ専門誌に譲るが、革靴くらい値段に比例して着用感、履き心地が顕著である。
私は、こんな事も知らないで、25歳の時ヴァンヂャケットに入社した。
当時流行していた、先が尖って魔法使いの履く様な長い靴を誇らしく履いて、入社式に臨んだ。
それこそ、地下鉄の階段を大蟹股か、斜めにしか歩けない代物でありました。

私は営業部を希望したが、その時の部長さんは私の足元を見て、研修修了の日、君は倉庫で基本を勉強して欲しいと。
何故私は2日間で、華の営業部を叩き出されたのか、その時は全く理由が判らなかった。
日が経つにつれて、私は当時のヴァンヂャケットで、魔法使いの革靴を履いて入社した男として有名になった。相当落ち込んだものでありました。

やがて30歳を過ぎた頃、ヴァンヂャケットが販促する革靴を履いて、石津社長と面談する機会を持つ事が出来、当時の流行傾向、良い服とは等々の教えを受けていた。

「ところで、貞末君、君の履いている革靴は悪いとは言わないよ。我社の製品だ。しかし、それが世の中で一番良い靴と思ってはいけない。一度、英国調イタリアメイドやフランスメイドの靴を履いてみなさい。」と。

何という事をおっしゃる人だろうと、その時は釈然としなかったものでした。
その後、海外出張の機会を与えられ、イタリアで分不相応な靴と出会い(確か、それはタニノ=クリスティのローファーであったが)、その値段は、私の収入ではとても・・・それこそ、清水の舞台から飛び降りるような気持で買おうと決心したのです。
履いた瞬間、宙を行く履き心地、眼から鱗どころでは無く、私の人生観が一変したのであります。何事も、自分で体験しなければ本当の事は判らないものです。
   
欧米の紳士道の在り方は、服に合った靴を履く事は言うまでもないが、いたずらに高価な靴を履くよりは、よく手入れされた靴を履いている事こそが重要と言われる。
もっとも、その靴が手入れしたくなる様な代物である、これは言うまでもないが、自分の分身の様に、自分の靴は自分で磨く、化粧を落とす時のように、クレンジングクリームで汚れを落とし、シュークリームを塗り、よくブラシで、縫い目まで満遍無くクリームを行き渡らせ、最後にシリコン布、又は、女性のストッキングに布を詰めてポリッシュするのであります。
破れた女性のストッキングの有効利用であります。
靴の手入れで忘れてはならない事は、雨の多い日本で革底の靴を履く時、欧米の様に室に入り、必ず絨毯の上を歩く環境では、絨毯が水分を吸収してくれる為、革靴は長持ちする。日本でも、水分を、新聞紙等を使って乾かす事を心掛けたい。

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メーカーズシャツ鎌倉株式会社
取締役会長 貞末 良雄

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