貞末良雄のファッションコラム
私のやさしい哲学【2】(自分を磨く)
2012年2月22日 貞末良雄のファッションコラム
「全体を貫く一本の線」
それは自分の人生全体と考えてみると、若いうちは、全体の領域がさほど大きくない。
年を重ねて、自分の経験が既に被害者(誰々に何かをしてもらえる、又は要求する。自分が周りに責任を持っているとは考えていない)から、加害者(周りに起きていることは全て自分の責任として考える事が出来る)になってくると、自分を取り巻く全体も大きくなってくる。
この時、揺らぎのない信念を維持することが出来れば、その人はその人なりの哲学を持っていると言えるのではないか。
ほとんどの人は正義が好きである。
特に青年時代は、正義に心が燃えるものではないだろうか。
やがて歳をとって社会組織の一員と成ったとき、いつの間にか組織の基準を守ることが正義と思い込んでしまう。
いつの間にか不幸になっている自分を発見する。
上役の目をいつも気にしている自分。
間違っていると判っていても、組織を守る為に行動する。
不幸なことに、いつの間にかその行為に何の疑問も抱かなくなっている事だ。
自分は何の為に生まれて来たのだろうか。
誰に、何に、役立っているのだろうか。
もし、何もなければ、自信を持って生きているとは言えなくなってしまう。
自分はどんな人間に成りたかったのだろう。
考えて考えて、自分の信念、生きて行くことの意義を見つけ出し、それをどんな時にも守りたいと努力することが、その人の哲学となる。
思考しなければ、自分を取り巻く全体が見えて来ない。
ただぼんやりと昨日の続きをくり返していると、時間はあっという間に流れていく。
誰にも等しく1日24時は与えられている。大切に時間を使い、人から尊敬されたり、素晴らしい人と評価されるべく徳を積み重ねる人、成りたい自分を定め、自分を律して行く。
それが楽しい自分創りと考える事が出来る人。
その人は哲学を持っている。
他人の目は、ごまかせないものだ。
自分は最大限努力していると思っても、他からの評価を得られなかったとしたら、人を恨むのではなくもう一度自分をみつめ直し、誰よりも自分に厳しく考え、律することが必要になる。
服が自分に似合っているか、自分に徳が具わっているか、それもすべて、他人が決めることなのですから。