貞末良雄のファッションコラム
NEW YORK 再確認 <私達は洋服の歴史の無い民族であること>
2012年11月30日 貞末良雄のファッションコラム
日本古来から受け継がれている固有の文化、衣・食・住という生活の背景は、高度に洗練され、情緒豊かな感性は精微な技によって、表現され、世界中の人々に受け入れられ、尊敬もされている。
食の世界は、まさにinternationalであり、住の世界も自然と共存する建築のスタイルは多くの生活様式に採り入れられている。
次に着物である。
これは芸術として世界に評価されているが残念ながら、日本でもそうである様に現代人の生活スタイルに浸透することが出来なかった。
第二次大戦の終了1945年と共に、焼け野原から日本は世界に追いつけ、追い越せと、猛烈に働き、服装は洋風化の一途をたどり世界経済の中で活躍するに相応しい服飾が進化することになる。
特にメンズウェアに於いては、社会的場面で要求される服飾のルールが厳然と存在し、脈々と受け継がれているのである。
私達のルーツは、何人もこのルールを伝承していない為、誰も教えてくれなかった。(唯一VAN JACKET創立者、石津謙介氏が、『いつ・どこで・なにを着る?』という著書の中で、西欧のルールを詳しく紹介している)、現代に至るまで、私達の着用する紳士服ワードローブは必ずしも、そのルールを守っているとは言えないのである。
西欧の人達から尊敬に値する服飾技術を持ち得る人達は、繊維ファッション業界に働く人達と言えども、その一部の人達と限られている。
日本には『ぼろは着てても心は錦』、着る服よりも心の清らかさ正しさを貴ぶ単一民族としての寛容な一面があるが、文化ルーツの違う、異民族間での交流では、こんなことは許されることはない。
1607年、スーツシステムを発明した英国は日の沈まない国として、世界を制覇する。彼らの着用する服飾が、経済性、活動合理性、さらにそのカッコ良さ(強い征服者がカッコ良く見えるのは当然である)、情緒性に於いても、世界基準になっていったのである。
従ってこの基準から外れていては世界的な場面で共通の目的の為に、活動する仲間とはみてもらえない。外来者の扱いに甘んじなければならない。少なくとも政府の官僚、経済界のTOPの方々は、かつての戦国武将の様に、その出立ちが一瞬で相手を圧倒しなければ、緒戦敗退である。
いかに服装が大切であるかを知らねばならない。
残念ながら、紳士服飾の仕事に携わったそれでもごく一部の人達しか、この事実を体験していない。
グローバル化が叫ばれている今日、紳士、淑女の服飾技術は学校の初等教育が必要である。
(繊維産業の衰退の一因も、この基本から外れ日本の技術や伝統工芸の力が、世界基準の生活スタイルに照準が定まらず、無駄な失敗を繰り返しているのではないか。現代の生活者が何を必要としているのか、その先にビジネスがあるのだから)
私達メーカーズシャツ鎌倉は、長い経験と研究の末、NEW YORK MADISON街、紳士服の聖地と言われる世界最高峰のマーケットに、シャツSHOPを2012.10.30 OPENした。
英国風でエレガント(グレアムマーシュさんのコメント)な高級感の漂う、清潔な店である。
客層はマディソン街で働く、マッドマンと呼ばれるジェントルマンである。
開店と同時にこんな人たちに買ってほしいと、心から願ったジェントルマンが来店する。
店の雰囲気が彼らを誘い込む。
ウィンドウのDISPLAYを見て、そのシャツのステッチが美しい、ネクタイはまさに正統派であると、口々に驚いた風で入店される。
値段などは一向に気にかける風でない。
ひたすら商品の完成度を賞賛し、必ず100%試着する(シャツを試着させないで売るなどもっての外だと、石津先生は口癖だったな~と思い出す)
この人達はもしかしたら、私達以上に服を知っている。何が良い服か説明する必要は全くない。これがNEW YORKの時代をリードするジェントルマンなのだ。身の引き締まる思いである。
聞けば彼らは、おはようの挨拶の後で、必ず自分の服の話、相手の服の批評が日常だそうだ。自分が相手にどう見られているかが重要なのだろう。ビジネスは一瞬で決まる。彼らは日々体感しているのだろう。
タバコを吸う人もいない。アメリカ人太っちょ、そんな人は入店して来ない。体は鍛えられている。超ビッグサイズ48cmNECKなどは殆ど売れない。日本の平均サイズよりは2~4cm大きいだけだ。
しかし胸板は厚い。
見事にスタイリッシュである。事前の調査データに無い人々である。
リーダーシップを持つ人、それを自覚する人々はアメリカ平均値ではなかったのである。
まさに私達が想定したお客様であった。
接客して冷や汗を二度。
ボタンダウン以外のシャツに何故胸ポケットがあるのか?
上衣に沢山ポケットがある。シャツにまで必要ない。そもそもシャツの胸ポケットに物を入れてスタイリッシュに着ていると言えるのかね?
ボタンダウンはヴァーサタイル(ドレスでもカジュアルでも着るから)理解できる。
英国人、シャツにポケットがある為、購入に至らず。
米国人、スリムフィットに胸ポケット。君の頭を疑うね。あるいは洋服の事知らないねと注意される。
次に私達はcmであるが、彼らはインチ(2.54cm)の世界。
私達はcmからインチに置き直した為に、1インチを3等分したSIZE表示をしてしまったが、彼らには体感出来ないSIZEとして、何故の連発であった。
日本ではシャツの胸ポケットが無ければ、買わない人が多いが、NEW YORKでは逆だ。
両者比較すると、シャツは最もスタイリッシュに着る、下着から進化したものでもある。シャツの胸ポケットにタバコを入れる。
最近では首から下げた社員証を入れる。
その吊り紐赤や緑で、折角のシャツ、ネクタイのコーディネートの上に赤、緑、紺の紐がぶら下がっていれば、服装全体がだいなしではないか。
彼ら一流のニューヨーカー達は、仕事の一瞬に服飾の力を利用し、自分がいかに誇り高き活力に満ちたセクシーな男であり、さらに相手から尊敬を集める人間であろうとしているのだ。
メーカーズシャツ鎌倉のミッション。
「世界で活躍するビジネスマンを応援する」
一層の啓蒙と、私達の社員全員の今一層の努力が求められる。
哲学の本は難しい<何故と問う事から始めてみよう>
2012年8月17日 貞末良雄のファッションコラム
哲学者は物事の本質を追及するとき、今までに考えられている、通念と成っている事象を根本から洗い直し、一歩ずつ、正確に、反証出来ない語彙で論述し、まわりくどく反復する為、読む方は疲れてしまう。
やがて何を語ろうとしているかさえ、判らなくなってしまう。自分の頭脳の回路がそれに追いつかなくなる。だから難しいのだ。
しかしこの通念を疑う事、当たり前と思ってしまっている事の中に、大きな誤謬が潜んでいたりする。私たちの上辺の理解を根こそぎ剥ぎ取ってしまう事もある。
だから、哲学者でない私達は、何故と問う事から始めてみたい。
子供は何でも「何故」、「どうして」と聞く。
そして成長する。
問うた数の多さと、正しい回答を得た経験の多さが、成長の度合いに関係があるのだろうか。
何故と問わなくなった時に、その人の成長が止まると考えられないだろうか。
老化現象は、何故と問う、考える事が面倒臭くなった時から始まるのではないか?
何故と問わない限り、回答は得ることが出来ない。
人の成長も企業の成長も、「何故」、「どうして」と正しい問いを投げかけ、正しい回答を見つけ出すことが進歩ではないのか。
成りたい自分、理想とする自分を思い描く。
そのあるべき自分と今の自分が、どこが違っているのか。それは何故か。
思い描く姿が遠すぎて諦めてはいないのか。
何故近づけないのか、近づこうとしていないのか。
そもそも、理想の自分の設定が間違っていたのか。
私は生まれてきて、何をどうしたいのだろうか・・・
会社についても同じようなものだ。
会社がうまくいっている。
本当にそうだろうか。このまま未来永劫にそうなのだろうか。何故うまくいっていると考えたのだろうか。うまく行っているとは一体何を持って、そう断じるのだろうか。
今はもう過去だから、未来は誰も判らないから。
今日、初心に一歩一歩努力を積み重ねる。
それしか人間のやれる事はないのだから。
いつも満塁ホームランに恵まれることはない。
うまくやれた昨日と同じ事を繰り返していて、明日は約束されると考えるのはあまりにも無謀だ。
もし会社がうまくいっていないとしたら、それは一体何故なんだろうか。
自分は間違っていなくて、周りのもの総てがこの会社を悪くしていると考えるのは正しいことなのだろうか。本当に自分は間違っていないのだろうか。
自分を含めて、一体何が原因なのか、うまくやれている同業者とどこが違うのだろうか。
そもそも自分の会社は何の為にあるのだろうか。
誰の為にあるのだろうか。
世間に必要と許されなければ会社なんて、うまく行くわけはない筈だ。
どこで踏み外してしまったのだろうか。
会社の存在が世間から許されたり、祝福されない限り、存在の意味がないとしたら、それを個人に置き換えてみたら自分は何なのだろうか。
会社と同じように、うまくいっている自分なのだろうか。そうだとしたら、このまま未来永劫に、と考えてよいのだろうか。
若くて美しくて健康で、ハッピーを謳歌しているとする。やがて歳もとる。このまま健康や美を保つのはどうするべきか。その時が来たとしたら自分をどの様に処するのだろうか。その時は絶対に来るはずはないと、無視してしまうのだろうか。
今の自分はどう考えても、うまく行っていない。
それは、他人のせいなのだろうか。
私は何の為に誰の為に生きているのだろうか。
山奥で一人で生活していないとしたら、人々と交わって生きている私は、必要とされる人間なのだろうか。人々から祝福され、なくてはならない人間なのだろうか。
何故と問う、正しい質問にしか、正しい回答は生まれない。
正しい問いとは何なのか。
皆様と毎日考えたいですね。
私のやさしい哲学(一時中断)
2012年7月18日 貞末良雄のファッションコラム
いよいよ、メーカーズシャツ鎌倉は、2012年10月上旬、
ニューヨーク・マディソン街(マディソン・アベニュー400番地 47丁目と48丁目の間)に
出店することになりました。
この地域はTRADITIONAL AMERICAN IVY Leagueスタイルの聖地である。
すぐ隣には、J PRESS、Paul Stuart、Brooks Brothersと軒を並べており、
向かいにはCharles TyrwhittやT.M.Lewin等のMen’s Shirts Shopが犇めいている。
Men’s街の真っただ中に突撃することになるのだから、あまりにも無謀、身の程知らずの謗りを免れないのは百も承知。それでも、私達は今こそ、私達の長年の勉強と経験、加うるに精微な日本人の物造りの技術を世界に証明すべく、挑戦を決意したのである。
日本に生まれ、日本に育てられた私達には、この大地日本に、何らかの恩返しで報いなければならない。今の日本の屏息状態、必要以上の自信喪失に、行動を持って示すことが何よりの刺激になるのではないか。
我々の様な小さな会社でも、何らかの行動を起こすことが出来る。
無謀ではない確信を掴み取る為に、どれだけの時間を調査、研究に費やしただろうか。
2008年に決意して、途中にリーマンショックにより一時中断したが、4年間は充分に戦端を開く準備が可能であった。
英国人Graham MarshさんJ.P.Gaulさん(The IVY LOOKの共著者)達からも、「VAN JACKET 出身者なら服の世界は、西欧に負けないくらい知っている。君たちの成功を強く信じている」と祝福と応援のメッセージも戴いた。
やるからには、必ずや成功を収めなければならない。
この地で大きな利益を目標としているのではない。
私達日本人が、歴史を持たない西洋の服で、私達の服飾に対する造詣や、セールをしない価格の信頼性を取り戻す新しいビジネスモデル、商人として在るべき姿を示したい。
乱れた商習慣に一服の清涼剤たり得たいと心に誓っている。
日本人として海外留学もしくは仕事で赴任した経験のある人間ならば、必ず外地で、自分が日本人であることを強く意識する。パスポートは日本人としての身分を保証してくれている。
外地にいる日本人は、「日本 頑張れ」といつも心の中で声援を送っている。
声援に応えなければならない。
自分は日本人なのだ。
その誇りを抱き品格を保ち行動する事が、その人を高めていく事になる。
海外での武器や財産はそれしかないのである。
私達の会社には海外留学者が10名以上在籍している。
今年も何人か入社を予定している。
彼らの海外体験は、まさにいま述べた様に海外に向かって、何か行動したいのである。
次の時代を背負う若者に、大きな課題を与えるのは、経営者の仕事ではないだろうか。
彼らと共に、鎌倉シャツを世界に!
折しも鎌倉の世界遺産登録は来年に迫っている。
私のやさしい哲学【3】(今回はやさしくないかもしれません)
2012年5月18日 貞末良雄のファッションコラム
「時間」
時間は全てのものに平等に与えられている。
メキシコに住んだ事のある友人から、
「メキシコ人は時間を降り積もってくるものと表現する」と聞いたことがある。
自分の肩に降り注いだ時間の重みをどの様に感じ、どの様な知恵とするか、
あるいは、慈雨の様にそれによって成長するか、いずれにせよ時間を重たく受け止めている様に私は思う。
一方、私達日本人は、時間は未来からやって来て、過去へ流れていく、川の流れの様に捉えている。川の流れはいつも同じ様であるが、決して元には戻らないし、同じ流れはないと昔の詩人が詠んだ一節がある。
あなたは時間をどの様に捉えていますか?
時間は相対的なものと物理学者は言っている。重力によって歪められるとも。
相対的と言えば、人間の一生を80年とすると、それは29,200日に相当する。
ハツカネズミの一生は20日である。生まれて成長して子供を作って死に至る20日間で、人間の29,200日分を経験する。人間の1470分に1である。
ハツカネズミにとっても1日は1日であり、1時間は1時間であるが、
彼らの1日は人間の4年に相等する。
私達より2倍近く長生きする象や鯨の1時間は、人間の2時間という事になる。1歳の子供の1年は、一生であるが、60歳の人の1年はその人の一生の60分の1である。だから年をとると時が経つのが早いと感じるのだろう。
相対性理論(アインシュタイン)によると、限りなく光の速度に近い乗り物に乗って空間を移動するとき、時間は限りなく進まなくなってしまう。
もし人間がその乗り物に乗って、一年経って地上に戻ったら(仮に地上の時間は50倍、50年経過しているとすれば)その人は50年後の世界に舞い戻ることになる。そこは未来である。
移動できる物体が、限りなく光速に近づく事はできないが、あり得ない話も理論物理学的には、実際に起きる話らしい。光の速度に近似値で飛び交う超素粒子の世界のことである。
理論的には、人間は未来に行けると言われている。
光のスピードと時間のスピードは同じ様に思えてしまう。
光には時間が無いことになる。時間はそんなものらしい。
光と同じ速さであれば時間は進まない。光の速さは真空中で1秒に30万km、地球7周り半である。光の速さはカウント出来るし、感じる事もでき、見る事も出来る。
しかし、時間は見る事も感じる事も出来ず、その速さは判らない。
実際に人工衛星での時間と地上での時間には誤差が生じている。それは衛星のスピードが速く、時間に遅れが出る。一方、地上の時間は地球の重力の影響を受けて遅れる。その差は1日に100万分の38秒と書いてあった。
こうなると何がなんだか、さっぱり判らない。体感できない世界だ。
時間と空間が一体で、時空と呼んでいて、時間は一次元のものだと。
時間は宇宙誕生と同時に生まれたのでしょうか???
時間は総てのものを成長させ、増大させ、最後に消滅させてしまうものなのでしょうか。時間は逆戻り出来ないのだ。
この様に不思議な時空に私達は生を受け、そして生まれて来て、よかったと思える。自分や自分の周りの環境を創っていけるのですから。
今日一日がすばらしく『自分自身に納得出来る事』が、与えられた時間を本当に享受している事になる。その時間を出来るだけ増やせる事が、素敵な人生だと、考える事は出来ないだろうか。
長生きとは『納得時間』の長さを比較すると考えてもよい。
人は素敵な時間は終らないで欲しいと願い、逆に好ましくない時間は、早く終わって欲しいと願う。当然の事ながら、楽しい時間を創り出す為に、人は限りない努力・苦難を受け入れて、やがて来るであろう楽しい時間を創り出すのです。
健康を害すると判っていても、その様な習慣から脱する事が出来ない人や、楽しく暮らす事を求め、心を鍛えない人は、持ち時間を早く消化してしまうことになる。と考える事は出来ないだろうか?
時間は私にとって、永遠の謎である。
私のやさしい哲学【2】(自分を磨く)
2012年2月22日 貞末良雄のファッションコラム
「全体を貫く一本の線」
それは自分の人生全体と考えてみると、若いうちは、全体の領域がさほど大きくない。
年を重ねて、自分の経験が既に被害者(誰々に何かをしてもらえる、又は要求する。自分が周りに責任を持っているとは考えていない)から、加害者(周りに起きていることは全て自分の責任として考える事が出来る)になってくると、自分を取り巻く全体も大きくなってくる。
この時、揺らぎのない信念を維持することが出来れば、その人はその人なりの哲学を持っていると言えるのではないか。
ほとんどの人は正義が好きである。
特に青年時代は、正義に心が燃えるものではないだろうか。
やがて歳をとって社会組織の一員と成ったとき、いつの間にか組織の基準を守ることが正義と思い込んでしまう。
いつの間にか不幸になっている自分を発見する。
上役の目をいつも気にしている自分。
間違っていると判っていても、組織を守る為に行動する。
不幸なことに、いつの間にかその行為に何の疑問も抱かなくなっている事だ。
自分は何の為に生まれて来たのだろうか。
誰に、何に、役立っているのだろうか。
もし、何もなければ、自信を持って生きているとは言えなくなってしまう。
自分はどんな人間に成りたかったのだろう。
考えて考えて、自分の信念、生きて行くことの意義を見つけ出し、それをどんな時にも守りたいと努力することが、その人の哲学となる。
思考しなければ、自分を取り巻く全体が見えて来ない。
ただぼんやりと昨日の続きをくり返していると、時間はあっという間に流れていく。
誰にも等しく1日24時は与えられている。大切に時間を使い、人から尊敬されたり、素晴らしい人と評価されるべく徳を積み重ねる人、成りたい自分を定め、自分を律して行く。
それが楽しい自分創りと考える事が出来る人。
その人は哲学を持っている。
他人の目は、ごまかせないものだ。
自分は最大限努力していると思っても、他からの評価を得られなかったとしたら、人を恨むのではなくもう一度自分をみつめ直し、誰よりも自分に厳しく考え、律することが必要になる。
服が自分に似合っているか、自分に徳が具わっているか、それもすべて、他人が決めることなのですから。
私のやさしい哲学【1】
2011年11月8日 貞末良雄のファッションコラム
私が高校一年、広島国泰寺高校に入学した年から、高等学校教育から哲学科目が消えた。
同校の三年先輩の長兄は、「この哲学の時間さえ無ければ、高校生活は楽しかったのに…」が口ぐせであった。
私は入学した時に、よかったと正直思ってしまった。
哲学は真理を求め、考える習慣を身につける、唯一無二の方法であったかも知れない。
今日本では、人々は考える必要がないほどテレビでは知識人が、それなりの論をまくし立てる。
聴く人々は、自分に都合のよい論理を受け売りする。
あるいはインターネットで簡単に知識が手に入る。
テレビで論陣を張る人の中には、かなりあやしい人も居る。
自分に確たる信念や論理を持っていないと、いつの間にか、自分の意見は他人の受け売りになってしまっている。
その事に気付けばまだよいが、全くテレビの大先生と同じ境地に達している人は始末に負えない。
知識を身につけ、考え、論議して、行動して新しい知を創り出した、そんな過去の習慣は、もう無くなったのだろうか。
哲学とは全体を貫く一本線のようなものであるとすると、人それぞれに、その一本の線は違ってよいと言える。
一本の線、不動の線は、世の中の真理を思索し、自分の信念や生き方を求め、生を受けた人間として、自分自身を価値あるものへと高めていく過程で形成される。
このように哲学することによって、絶対的真実が発見されるとは限らないが、この道を求め考え続け、人と人と議論を重ねることで、人は成長、進化することが出来る。
自分の周りに起こる、総べての事象に何故と問い続けることである。
その事によって人は、今の位置に留まることを善しとしない、生活習慣が生まれる。
今は二度と帰って来ないのである。
したがって、過去は未来への勉強材料であるが、それは決して、未来への万能処方箋ではないのである。
今の成功は未来に何の役にも立たないかもしれないと考えると、経営破たんを易々と招くような事にはならないかもしれない。
経営のトップが、正義とは何か、経営の責任とは何か、自らに問い続けていたら、トップの独善に陥いることも昨今新聞紙上をにぎわす愚かな自己保身や組織優先の判断もしないのではないのだろうか。
トップは何も偉いわけでも、万能の神でもない。
ただ責任の重さを快いと受け入れる馬鹿力がいるものではないか。
一方、米国の高校教育に於いても、日本と同時期に哲学科目が消えたと聞いている。
日米ともに物を考えない国へと転落して行ったという学者もいた。
まだ米国は、100種類以上の多民族国家であるから、それぞれの文化の違いを容認、吸収していく為に、人々は思考し、論議容認してきたに違いない。
そこに未だ思考回路が生き残っている。
一方、我国、日本は、ほぼ単一民族であるが故に、双方が無言の理解の範疇にあり、全く価値観の違う議論は存在しない為、考えなくても判っているから思考凝固が蔓延したのではないか。
さらに悪いことに、スマートフォン、ipadなどの他人との言語によるコミュニケーションも不用になってしまう危険性を孕むことになり、人間力の退化が始まろうとしている。
これらの事がどれだけ恐ろしい未来を招いてしまうのか。
議論しても、はじまらないとすれば、自ら生き延びる為にも、自分自身に新たなレッスンを課することも考えなければならない。
成りたい自分に成る【2】
2011年6月9日 貞末良雄のファッションコラム
マズローの心理学を読んだ。
人間は欲求に支配された動物であり、欲望は善でもなければ悪でもない。欲望を心(脳)がそれを制御する、唯一の動物が人間であると論じている。
欲望は、生理的欲求から安全欲求、差別欲求、優越欲求、最終的に自己実現の欲求となる。
人間は一つの欲望が充足されると、次のさらに高い欲求に向かう。
マーケティングで言う、この自己実現のマーケットに対応することは大変難しい。
自己実現は個人個人がそれぞれ固有のものであり、それまでの欲望は、スパイラル階段を駆け上がるように、方向はいつも一定であり、その欲求を捉える事はさほど難しくない。
成熟社会に到達した生活者がそれぞれ自己実現を模索するとなると捉え処がない。
人類が初めて経験するマーケット、顧客である。
顧客像を捉えるとき、自分の想定する人々又は、そうあって欲しい人々をマーケット
として考えなければ、商品創作は不可能となる。
誰の為に、何の為に、が問われる。
人格形成上の自己実現とは、その人に自己矛盾が極小化することを言っている。
物心つく頃から人は皆、同様にもう一人の自分と暮らすことになる。もう一人の自分は、常に冷静に自分を眺めていて、志した方向に努力しない自分をいつも叱咤する。彼を騙したり、裏切ったりすることは出来ない。何故ならば、彼は自分であるからだ。
もう一人の自分と和解する、誉めてもらえる。それには、自分でも信じられない位、努力し我慢し汗をかき、己に鞭を打ち、くたくたに疲れて眠りにつく時、
「お前良くやったな~」
そのように繰り返し繰り返し、自分を誉める事が出来た時に、少し自己矛盾の幅が狭まって来るように感じるものだ。
もう一人の自分が消えた時、自己実現の初期を迎えたと言える。
時々、もう一人の自分を呼び出すことも一趣だ。
マズローが言う自己実現の記述を少し紹介すると
彼は自己矛盾の程度が低く、自己との敵対関係にない、彼の人格は統合されている。
彼は自分自身への健康な敬意、つまり自分は有能かつ適任であるという知識、体験に基づいた敬意を持っている。
彼は自尊心に依存しなくても、他人からは当然の敬意を受けることも多い。
彼は不当な名声や悪評を求めもしなければ評価もしない。
彼は自分をコントロールしているという感情の力を有している。
彼は自分自身の運命をコントロール出来る。
彼は自分を恐れたり、恥じたり、自分の失敗にくじけたりしない。
それは彼が完璧だからでなく、彼はまた失敗するが、失敗を克服するからである。
私はこのマズローの言葉をいつも考え、
私の今は、果してこの言葉通りであるか、
課題は尽きない。
成りたい自分に成る【1】
2011年5月10日 貞末良雄のファッションコラム
小学生の頃、毎日チャンバラごっこして遊んでいた。
漫画に出て来る忍者、猿飛佐助を手もなく負かしてしまう、師匠の老人、戸沢白雲斎。私も老人に成ったらこんな人に成りたいと思ったものでした。
広島の中学校に入り、本屋で見つけた吉川英治の宮本武蔵。
チャンバラの達人で、人生負けた事がない憧れの剣人である。
初刊の一巻を読み、第二巻が待ち遠しい。
武蔵は花田橋でお通を残して去る。「ゆるしてたもれ」で一巻が終わった。
とても高価な本で、小遣いを貯めて買った。美しい装丁で頁を開く、その香りの気高さが忘れられない。
宮本武蔵が剣の技を極める話ではなく、人間として完成して行く過程での
悩み、苦しみ、決断、総べて自分の行動の中で体得して行く物語りであった。
修練し、自己実現して行くのである。
人生はこの様に歩むものなのか、生涯自己練磨なのだ。
中学生の私には強烈な衝撃であった。
年老いて、あの戸沢白雲斎の様に全てを超越した仙人のような人に成りたい。悟りを開くのだ。中学生の私はその様な夢を描いたものでした。
その後、私自身は真の商人に成ろう、商人の活動を道と考え、その道程を辿って自己を完結させる。道を極めるが私の日常に成っている。
商いとは、人々の欲望を財とサービスで充足させる、又は人々の潜在している不満を解消することが基本であるから、人々の欲望に関して洞察する為には自分自身が大顧客たるべく、消費者であることが重要で、頭で考えるよりは浪費家と言われるくらいの消費をする。
その体感から欲望の変化推移を汲み取るのである。
成熟社会がやっと来たと言われたバブル崩壊の1992年頃から、衣食住足りて、消費者は自分が望む生活スタイルを実現するための消費が始まった。
必要なものを見極める見識を有し、
自己実現の生活空間を求め、
必要なものを納得して購入する。
こんなマーケットが始まったと考えるべきである。
成りたい自分、即ち自己実現のマーケットに対応するビジネスモデルが市場から要求されたのである。必要なものを納得して購入する。納得価格を実現する企業構造改革への挑戦が必要だったのである。
あれから20年経った。
自己改革のチャンスは何度もあったが、少し景気が良くなると、従来体質にドップリ漬かり、苦しい体質改善を先送りにする”集団の無感覚”は心地良いのだ。
流通業では大手小売業の売上減少が止まらない。過去覇者であったが故に、自己否定がむつかしい。私の経営する会社もそうであるように、サービスと財で以って商いをする。そのサービスと財は永遠ではない。
常に陳腐化の歴史を私達は知っている筈だ。
故にたゆまぬ自己否定と進化を自らの経営課題として忘れてはならないのである。
私が社会人になった時
2011年5月9日 貞末良雄のファッションコラム
東京オリンピックの前の年に卒業した。
1963年だ。
千葉工業大学という名も知られていない小さなカレッジである。
応用科学に興味があったが、私の親友が広島大学の電気科に入ったので、思わず私も電気科志望欄に○印をつけた。
かくして、望んでもいなかった電気の勉強をする事に成ったが、目に見えない電気はどうしても好きになれなかった。
やがて卒業。
取れない単位、卒業できない夢に、卒業後何年うなされたか数えきれない。
そんなわけだから、大不況の当時就職試験は何度も失敗した。
私を採用しなければ、将来この会社は後悔するぞという、理由もない自負心はあったが、それは何の役にも立たなかった。
ようやく、卒論で勉強した「高速道路に於ける照明が運転手に与える輝度による障害防止」というテーマであるが、ゼミの先生に与えられた米国の文献を翻訳したにすぎなかったが、なんとオリンピックが始まり、首都高速道路の建設もあって重要な課題であった。そして照明機材の設計、照明ランプの設計、製造の会社にかろうじて入社できた。
研究室に配属され、特許広報の整理や、設計図の作成の下働きをしていたのだか、ほとんど役立たずであったと考えられる。
工場に行くとものすごい熱気の中で、皆汗を流し働いている。物がどんどん創られている。
すごいクラフトマンの集団である。
それでも何故か私の給与は同年代の人よりは高かった、大学卒という理由だけで。
やがて不況がさらに深刻となり、工場は操業短縮に追い込まれた。給与の30%カットである。
私は研究室員として、従来通りの勤務である。納得がいかなかった。
そこで敢えて工場勤務を志願した。「飛んで火に入る夏の虫」であるが、私よりはるかに優秀な人達が、学卒でないが故にと思うと、私の青い正義感がどうしても今の自分を許すことが出来なかった。
工場勤務イコール給与30%ダウンである。清々しい気持ちに浮かれている間もなく、経済的に困窮に喘ぐことになった。
日々何とか食べるだけで、休みの日はアパートの庭にむしろを敷いて、冷蔵庫もない部屋で融けたマーガリンを体に塗って日光浴して、翌日は湘南で遊んできたと見栄を張っていた。
工場での仕事は何を教わっても楽しく、新しい発見であった。
炉の温度を測るにしても、物の長さを測るにしても、測る道具に絶対正しいという物がなく、何%の誤差の中で物が創られていく。
学校で得た、僅かばかりの知識など全く役に立たないばかりか、知識それ自体は何も創り出さないのである。
工場の技能者は、修練によって毎日毎日新しい創造物を創り出しているのである。
大学で得た僅かな知識で、これからの世の中を渡ってくのは無謀すぎる。私には科学者に成れるような才能はない。
私にもしあるとすれば、私の体に潜むものを信じて、裸になって人間力を創りあげることだ。
私には幸いにして、商人としての血が流れている筈だ。
緩んだ精神と肉体を鍛え直す。
朝6時から夜12時まで働く、番頭さんと丁稚さんの世界に飛び込もう。会社を辞め、かくして、科学者の夢を捨て商人の世界へ。商人の道を歩み、自己実現を計る。この道をまっしぐらに突き進む、第二の人生をスタートさせた。
行動を伴わない知識は、何の役にも立たない。
行動によって得る知覚が、変化を受け入れ革新を生む。勉強して評論するより行動することによって体感し知覚することは、その人固有のものであり、深い知の蓄積となる。
知識は脳への知の集積・備蓄であるが、体感し知覚することは五感を総動員させることであり、人間力となりやがて六感を誘発する。人間の能力とは、どんな状況に於いても、生き残る能力を有することであるから、知識を超える変化が生じた時に知識は役に立たない。行動で体感し、知覚を繰り返していると、本能的な人間力が芽生えてくるのではないだろうか。
私達の体の奥底にはこの本能的能力が備わっていて、それを引き出す訓練を怠らないことだ。
東京電力には、危機を体感した人が居なかったのだろう。現実は空想を超える、知識を超える状況になると、体が動かない。テレビの画面からしか窺えないが、トップマネジメントから人間力の様なオーラは感じられなかった。
知識人ではなく、普通の人の懸命な努力で、やがて日本を復興させるだろう、いつの世も同じように。
私が知っている中国
2011年5月9日 貞末良雄のファッションコラム
ハルピンに行ったのは、1987年約25年も前になる。
その時ハルピンの空気のきれいな事、食べた食物も自然のままであった。
東京の空と違う青い空、なんと素晴らしいと思った事か。
2009年の春ハルピンから仕入れ先の一行が東京にやってきた。
東京の感想は?と聞くと、何と空気がきれいな事、空の青々としている事と、感激していた。
四半世紀の間に環境は全く逆転していた。
当時ビル一つもなかったハルピンは、高層ビルが立ち並び、近代化にまっしぐらだ。
いたる処建設中で、土地が掘り返され、土埃が空を覆っている。
暖房とアパートと少しばかりの生活の豊かさの代償は、環境破壊だったのだろうか?
北京空港から市内まで、細くて長い車道が延々と続いていた。
いったいどこまで、この真っ直ぐな道は続いているのだろうか、畑の中の一本道だ、さすがに広い国だ。
車などはまれに見るほどで、渋滞などは無縁、今は市中心から環状8号線まであり、8号線の円周は『東京~浜松』に相当すると聞いた。
呆れるほどスケールが違う。
平日でも環状6号線までは、いつも大渋滞で、7号~8号線はかろうじて車で走ることができる。
この20年間の中国の近代化はすさまじく、私は年に十数回中国にいくが、一度も青い空を拝んだことがない。
上海に住む友人は、青空は年に2度ぐらいかな…なんて言っている。
中国人と平均寿命の話をする。
中国では60歳を過ぎた人は、完全に引退して、ただの老人になる。
寿命は日本人より15年ぐらい短い。
それは仕方がないと彼らは言う。
きれいな水がない。
食物も汚染されている。
そんな生活しか出来ない。
寿命が短いのは当たり前だ。日本に行った事のある人達は、口々に日本はきれいだ、空が青い。
食べ物は何を食べても安心出来るし、うどん、ラーメン、寿司、何でも美味しい。
人々は礼儀正しく、サービスは完ぺきだ。
自分達に出来ないサービスに感動する。
電化製品も「メイド・イン・ジャパン」は、丈夫で長持ちする。
中国製は駄目だ。
でも、日本に来て「メイド・イン・ジャパン」が少ないのは淋しい、残念だ。
捜すのに苦労する。
大きな声では言わないが、彼らは日本を尊敬し、大好きなのだ。
あの漢方薬ですら信じていない。
日本に来たら薬を大量に購入する。
お米もいくら高くても買う。
ついでに炊飯器も変圧器も購入する。
日本の変圧器は小ぶりで、中国のものは炊飯器並みに大きい。
日本に住んでいて、ツアーで海外旅行しても、その国の事は判らないから、日本人は自分たちのすごさを知らない。
若い人たちの中には、何も考えずに疑問を持たなくても、先輩の築いてくれた日本が、どんなに尊敬されているか、凄いか、全く感知していない。
無形の財産をみすみす失いかけているのだ。
1974年に一緒にハワイへ語学研修した友人が、上海に住んでいる。
彼はコンピューターシステム設計会社で、進出日本企業の社長をやっている。
彼も10年位上海に住んで、ようやく注文が取れるようになったが、途中帰国を命じられる。
彼の居ない上海では、注文が取れなくなった。
2年後に再赴任して、バリバリと受注を取り始めた。
彼の人柄と懐の深さが中国人に信頼されたのだ。
人脈を築かなければ仕事は出来ない。
働いている会社のネームヴァリユーよりも個人的魅力、人間力が評価される。
17年目になるが、彼はもう中国人だ。
彼曰く、日本のルール、考え方、保守的な行動は通用しない。
決断とリスクテークがなければ、軽視されても仕方ない。
中国では何でも在りなのだ。
日本人の枠の中で考えたら何も出来ない。
13億も人が居るのだから、我先にと、早い者勝ちも理解できる。
常にトップがセールスする、決定権のある人が最前線で決断する。
序列はことの外、重んじるようである。
日本流で担当者が案件を持ち帰って決定する方式は、彼らは交渉時間の無駄と考えている。
トップが出てくれば、トップが対応する。
これが流儀だ。
担当レベルであれば、担当レベルが対応する。
何事も、何時までも決まらない。
日本人との商談は後回しにされる。
私の友人は10年前に現地の女性と再婚した。
30歳も年下だ。
子供が何故か二人もいる。
合法的に二人いるのである、9歳と7歳だ。
7歳の男の子は、優秀で飛び級でお姉さんと同級生になった。
奥様は60人しかいない寒村から山を下りて、南京で苦学して日本人ツアーガイドをして彼と知り合った。
19歳の時である。
最近その子供たちが冷蔵庫に買っておいた日本製の牛乳をよく飲む。
中国製には口もつけない。
値段も4倍ぐらい高いので、透明なビンに入れ替えても、日本製か判るのかそれしか飲まない。
大人には味の区別がつかないが、子供たちは判っているらしい。
いつの間にか日本製しか口にしなくなってしまった。
久光百貨店で購入するが、経済は大変だ。
奥さんもシャンプー、薬、ビール、全て日本製しか買わなくなった。
お土産は、シャンプーと風邪薬とお米が欲しい。
生命に関わるものだ。
値段はいくら高くても購入する。
それが今の中国だと言う。
何故日本は早く自由貿易を選んで、13億のマーケットに日本製品、農産物を売り込んで来ないのか?
彼は憤懣やる方ない様子で、会う度に内向きの日本人を嘆いている。
意思決定出来る人間が、もっと積極的に他文化を学び、現場から得る情報で決断しないのか。
地位の上の人ほど怠け者だと言っている。
1945年、第二次世界大戦で全てを失った日本人は、再び日本の復活を信じ、外向きに外向きに発想して、日本を再び繁栄に導いた。
どん底から這い上がった大和魂を忘れてはならない。
世界のパラダイムが大きく次元を変えようとしている今こそ、一人一人の強い民族意識が未来を切り開く鍵ではないだろうか?