貞末良雄のファッションコラム
人の上にたつ【2】
2014年8月12日 貞末良雄のファッションコラム
よく、人の上に立てるのは部下のサポートではなくて上からの引っ張りに依る事が多いと言われる。企業力学である。
従って、上に阿る集団の習性がはびこることは避けて通れない。
集団の力学とは、こうしたものであると自覚しなければならない。
果たして自分はその分類に入る人間なのであろうか、自己分析が欠かせない。
どんな理由であれ、人の上に立ったならばその役割を遂行せねばならない。
失敗は部下の責任、手柄は自分。このような行為は誰からも信頼を得られるものではない。
自殺行為と悟るべきである。
実力でTOPに立ったのか、否かは自分よりも他人の方が判っている。
故に、どんな理由であれ、TOPに立つ人は大きな責任を背負うことになる。
その時こそ第2の人生の出発点と考え自他ともに認める自分に向かって精神的にも、
肉体的にも強く鍛え目標とする自己実現に近づかなければならない。
精神を鍛える、それはいかなる困難にも動じない自分創りである。
困難に遭っても狼狽しない自分創りだ。
困難を克服するには学問は役に立たない。
実戦経験に依るしかない。(避難訓練みたいなものだ)
体が動かなければ何の方策も出せない。
困難は、その本質を見極めその奥に潜む真の問題点を、そしてそれは何故起こったのか、知覚する事である。
知識、理論派は考えるだけで行動には臆病である。
行動、決断出来る人は、体験派であり問題の本質を体感、認知している。
体験派は、今までに色々と痛い思いを含め、様々な選択肢を経験した人であり、脳の回路が何を優先させるか、
問題の本質は何か、だから何なのだと開き直れる、そんなプログラムを構築してきた人と言える。
秀才が有事に弱いと言われる所以である。
(体を鍛える)
健全な精神は健全な体力に宿る、耳にタコが出来るほど聞き慣れた言葉であるが、どれだけの人が体力を鍛えているだろうか?
第一に緩慢なる自殺行為と言われているのが喫煙である。
癌、痴呆、欝(うつ)のリスクは何倍も高くなると言われている。
人は老い易く、学、成り難し。と言われる様に、短い人生で凡人の自己実現は健康で長生きして初めて実現する。
健康でなければ正しい判断は下せない。
どんな状況にも対応するTOPが健康を維持出来なくては資格を有しないと同じ事である。
流行のうつ病などは健康を害することから始まると考えてよいのではないか?
体が健全でないと、負の思考、すなわち物事を前向きに捉える事が出来なくなる。
リーダーが仕事を完遂するには、明確な判断基準と強い達成への意欲、誰もが納得する高い理想や信念が集団の共通認識となり
エネルギーの渦となって、全体を牽引していくのである。
信頼に基づき集団が一致団結することが理想であり、その環境を創るのが真のリーダーである。
ポケット論争
2014年8月5日 貞末良雄のファッションコラム
ドレスシャツ、Button Down以外を胸ポケットの無いものに変更した。
ドレスシャツのポケットを外す決定には賛否両論で、未だに(1年経過)反対の立場の方々から厳しい批判を戴いている。
その論旨は、
1.『ここは日本である。日本人に売る以上、日本の気候風土、習慣に倣い日本人仕様のシャツを販売すべきではないか。あなたも日本人ではないか。』
2.『私は米国に何年も滞在したがシャツにポケットなしなど聞いた事がない。何かの思い違いではないか。』
3.『夏場はクールビズが浸透していて、上衣、ネクタイなしが一般化している。上衣が無いので、シャツのポケットは必要不可欠である。』
4.『単なるコストダウンではないか。』
以上の論旨は、ごもっともと考えている。
しかし一方で、
『正統なドレスシャツ(ポケットなし)を着たかったが世界の一流ブランドやラルフローレンのドレスシャツしか捜せなく、いくらなんでもこれらのシャツを何枚も購入することは出来ない。
10年以上も前には確かスリムFitシャツにはポケットがなかったが、オンラインショップが始まって、やがてポケットありになり、鎌倉シャツには失望していた。
鎌倉シャツさん、よくやってくれた。』
こんな賛成意見も在る。
NEW YORKに出店してオープン初日早々に、ポケット付きのドレスシャツについて、「何故ポケットが必要なのか」お客様に問いただされた。
彼の論旨は、
1.『シャツは肌着に近いもので物を入れる機能は必要ない。』
物を入れたければ、JACKETにもPANTSにもポケットは沢山ある。
2.『シャツはスタイリッシュに着たい。』
シャツとネクタイはビジネスシーンにとってとても重要で、敢えて言えば最も男性がSEXYであるのは、上衣を脱いでシャツ姿になった時である。
故に彼はジャストサイズのシャツを探している。
ジャストサイズのドレスシャツを着用して、ポケットに物を入れれば、そのシルエットは崩れてしまう。デリケートで高級なシャツ地はダメージを受けてしまう。
(余談になるが…
アメリカ人は太った人が多く、又すぐに太るという恐怖心から少々大きめのシャツを購入する傾向がある。
メーカーが“スリムFit”と言っても、表現はそうでも必ずしもスリムでない“スリムFit”シャツが溢れている。
日本人はそんなに太るという恐怖心が無いだろうから、日本人の作る“スリムFit”は本当に期待通りのサイズに違いないと考え、買いに来たという方が大勢いたのです。)
アメリカでは正に、ポケット付きのドレスシャツは1枚も売れなかった。
イギリスで発明され、進化したドレスシャツであるが、正統な源流は、ポケットなしだ。
ポケット付きはジャパニーズアレンジであって、これを世界に拡大することは不可能である。
私達の会社の社是は日本人の男性をおしゃれにする事であり、世界で活躍するビジネスマンを応援すると設立以来、この目的に邁進してきた。
もし、NEWYORKでお客様の忠言がなければ、応援していたつもりの人々を世界の檜舞台で恥をかかせてしまったのである。
考えてみれば衣服が買える生活でなかった第二次世界大戦後は、セーターは手編みで作り、上衣は軍服を改造し、有力者は街のオーダー屋さんでスーツ、ヂャケットを作らせていた。
この頃は、衣料は暑さ・寒さをしのぐ必要衣料であった。
従って衣服には、機能が具わっていることが必須で、購入の動機はその機能の良し悪しが決め手であった。すなわち、人々は衣服の機能を購入したのであった。
やがて人々の暮らしが向上し、衣食が足りた婦人にはFASHION誌が、男にも、男子専科などのおしゃれ誌が登場した。
1950年後半に石津謙介の設立した服飾メーカーVAN JACKETが誕生する。
人々は機能消費から目覚め、格好いいもの、すなわち“情緒豊かなもの”を求めるようになった。
(機能消費から情緒消費への転換である。)
機能ではなく、“情緒”を刺激したのがVANであった。
若者達も大人も、服は格好良いもの、夢を叶えてくれるものとして、一世を風靡したのである。
私はVANに在籍し、その伝統を受け継ぐ者として、服は“格好良いもの” “情緒を豊かにしてくれる” そんな使命を引き継ぎたいと考えている。
当然、日本には機能満載のポケット付きドレスシャツやクールビス対応の派手なシャツが世に溢れている。
それが果して格好良いか否かではないだろうか。
そのシャツ(鎌倉シャツを含め)が好きか嫌いか、それこそ情緒の問題で、それを選ぶ本人の自由である。そこには誰も異論を唱えることは出来ない。
格好良いか否かは、他人が判断する。
自分がそう思っても、他人が評価しなければ、それは一人よがりという事になる。
自分の評価は他人がするのである。
異論反論、有難く受け留めるが私たちの会社の使命としてやっていく決定を覆すことは考えていないのである。
格好よいビジネスマンが世界に飛躍する姿を夢みて
貞末 良雄
2014.8.5
人の上にたつ 【1】
2014年6月10日 貞末良雄のファッションコラム
努力して認められて、ある集団の責任を任される。
すなわち、俗に言う「出世する」ある範囲のTOPになることである。
恐ろしいことであるが、息を耐えだえに踏んばって、踏んばって、TOPに立った人はやれやれ、一息。と思うものである。
私もこんなに頑張ったのだから、お前たち(部下)も私と同じようにやれと、出来ない部下を叱りつけて、全体の士気があがらなくても、それは全て部下が悪い。だらしがないからと思う。何度言っても、部下はミスをする。叱れば叱る程、ミスを繰り返すものである。
自分の向上は一休みして、高みから下ばかり見る様になる。
高い処は安全地帯と思ってしまう。これ以上、自分は進化し、向上しようとは思わない。
もう、面倒くさいのだ。今まで、随分努力してきたのだから・・・
こうして、登りつめた途中の高台で、満足することを、無能のレベルに到達したと言い、その人は終わるのであるから、自分の地位を脅かす何物にも鋭い敵意を内包する。
どんな建設的な意見にも、それを受けたら自分が劣っていると思われるのか、恐ろしくなってしまう。
この無能のレベルは、始末の悪いことに、本人は気付いていないのである。
ここまで努力して、得た地位であるから、地位が高いとその人は偉いと、勘違いしてしまう。
地位が高い人は、部下からみれば、皆の不出来、失敗を背負ってくれる人と考えているから、そのギャップは大きい。
地位は責任の重さの目安であり、それを楽しみ、部下の才能を愛し、自分より優れた部下を認める力を持つべきであり、愛情をもって、部下を叱り教え、集団のヤル気を向上させる役目を担っているのだ。
無能なボスに成ってはならない。気配りを欠かさない縁の下の力持ちこそが、真のリーダーである。
一番下から皆を持ち挙げるのだから、力は要る。バネも要る。
その行動こそが、誰もが認めるリーダーではないか?
リーダーとは、どうあるべきか等の本を読んで理解した。
判ったということと、やれる、行動を起こすこととは違うのだ。
この文章を読んで、今から行動を起こせる人は数少ない人達と思う。
しかし、この数少ない人達によって、会社も、日本も、世界を変えていくのではないか?
世にも不思議な 笑いの練習【2】
2014年3月18日 貞末良雄のファッションコラム
笑いの時間だ。おばあさま楽しいですね。思いっきり笑ってみた。
やればできるのだ。何を格好つけていたのか?笑いながら、涙がとまらない。
オレはやったのだ!初めて自分を超越したのだ!
人間はやろうと思えば、なんでも出来るのだ。
人になんと言われようと、自分のため、家族のために戦うのだ。
「馬鹿になれれば、お前は一流だ。」
と父に教えられた27才。父の遺言の様に思い、努力してみたが所詮なにもわかっていなかったのだ。格好つけて、自分が一番可愛くて、強がり言っても臆病者でしかなかったのだ。たのしくなくても演技すれば笑える。
演技で笑っているうちに、気持ちが晴れてくる。やがて本当の笑いになってくる。
何もやらないで私には出来ない、と決めつけてしまう。
そんなことでは、自分に出来ないときめて退去して、なにも挑戦できない自分になってしまう。
こんな屈辱的なことと考えた。少々不幸と感じている自分を偽って、楽しくもないのに、楽しめそうもない相手方と手を握り、目を合わせ、ほほ笑むなど寒気のすることではないか?
しかし、やってみれば、そんな風に考えた自分は未熟者であったのだ。
人は変われる、変わるのである。
それは苦しいし、苦い体験を通して始めて自分のものにすることが出来る。
これは、学問で得る知識とは別物なのだ。
頭でっかちな自分を反省する。
この笑いの練習くらい為になったことはない。
私の皮が1枚めくれた瞬間であったと、今にして思う。
夕方7時の食事。夏であったので未だ日が高い。
10時消灯で寝床に就く。それまで同室の方と雑談するか本を読むかしかない。
60才前の同室の紳士から、(上場会社の役員の方である)相談を受けた。
自分の家族は、親兄弟、妻子供、全員自殺した。
今は、自分ひとりでやがて私も自殺するだろう。
そんな呪われた家系、自分の未来が恐ろしい。こうして、この道場で救われたい。
貴殿はどんな理由でこの道場にきたのか?
あまりにも違った境遇で返事も出来ない。みるからに健康そうなこの紳士の持つ悩み、苦しみ、なんとも慰められない悲しい人生なのではないか。
亡くなられた方々のためにも、貴方は長生きしなければなりません。通り一辺倒の言葉しかでない。
彼は静かな口調で、「そう思うし、私もそうしたい。しかし、私の親族誰もが、病気でもなく、
その瞬間まで死のうとは考えてはいなかったのではないか?と思うと、私には自信がない。私の宿命かもしれない。」
とくに悲しそうな表情もせずに淡々とかたっておられた。
明るくおつきあいさせていただく以外に、私にできることはなかった。
室の皆さまにしてさし上げられることは、布団の上げ下ろし、裏庭で干して差し上げること。それしか、私にできることはなかった。それが、今の自分の力であった。
10時に寝るには早すぎる起床は5時半だが、眠れない。
気がつくと、静かにきれいな声が拡声器から流れてくる。なんて、美しい優しい声だろうか?うっとりと聞き入ってしまう。
宗教っぽく嫌いな話だが、この声の魅力に負けて、聴き入ってしまう。
うろ覚えであるが・・・。
なんでも、谷口雅春45才くらいに悟ったイメージが言葉になっている様だ。
汝、天地一切と和解せよ。
汝、天地一切と和解せよ。
汝が苦しい時、悲しい時、あるいは重い病魔に犯されたとき、汝は神を頼むであろう。
我は、汝の元へ行きとうても、よう行かぬ。されど、汝が天地一切と和解したとき
我は汝の元に在る。我は汝なり、汝は我なり。
初日に聞いた時は全く意味が理解できなかったが、3日目の夜、突然この意味が判った・
天地一切を許し、和解するとき、その人は神になれるのだと。
嫌な奴、嫌いな業務、いつも叱る上役、反抗する部下。人々はいつも自分中心で自分の都合の悪いこと、思いのままにならない人やこと、自分より能力を有する人を認めない弱さ、和解できないことに囲まれて生きている。
小さなことに「こだわって」自分にも他人にも、不満が増幅する。
楽しめない自分、人から好かれない自分がいる。
この教えは、一生は一度しかない。出会える人は限られている。どんな人でも、許す練習、自分の周りで起きたことは、どんなことでも、それは自分のせいかもしれないのだ。と、許す練習をする。百に一つでも人の良いところを見つける努力をする。
和解するのだと、心の中で叫び、天地一切と和解を心がけてみる。
気がつけば、千分の一でも神様に近づけた自分がいるかもしれない。
病気をしない健康な自分になっていたのかもしれない。病魔には犯されないのだ。
と、以来私は、この言葉の素晴らしさをかみしめている。
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世にも不思議な 笑いの練習【1】
2014年3月11日 貞末良雄のファッションコラム
練習道場に戻ろう。次は、笑いと和解の練習だ。
あの30食の食券・・・
初日の昼食、少しは美味しい昼食にありつきたいものだと思い、食堂に入る。
配膳された長テーブルに座る。お盆には、どんぶり飯と目ざし一匹、みそ汁、梅干し1ケ、
以上おしまい。
とても食べられない、こんなどんぶり飯、おかず不足、やれやれ何の楽しみもない。
無理をしてでも食べなければ、夜までもたない。
売店で食べ物が売っているなんて事はないのだ。
酒もタバコもジュース、何も売っていない。
夕食の時間、19時くらいか?流石に腹が減っている。夜は期待出来るかな?
お盆には、どんぶり飯、お汁、鯵の干物、梅干し、以上終わり。
ガッカリするが、腹が減っている。
どんぶり飯を平らげるには、おかずを大切に食べるしかない。
梅ぼしは種もかみ砕き、鯵は頭から。骨も大切なおかずである。
食べ終わると、お盆の上には食器と箸以外、何も残らない。
300人の残飯、さぞかしと思うも、残り物用にバケツが一ケ。
流石に梅の種をかみ砕けない人が「種1つ」をバケツに入れる。
何と、300人の残飯は梅の種だけだった。
くる日もくる日も同じメニュー、他に何もなければそれも美味しく待ち遠しい。
自分はシャバ(娑婆)では、どんなに無駄な食い方をしていたのだろうか?
知らず知らずに贅沢が当たり前になっていた。
私たちは残飯、生ゴミが山ほど出る生活を何とも思っていなかったのだ。
また一つ、思い知らされる。
次に「ありがとう」の練習であった。
300人収容の大広間。講師や体験談の合間、一時間おきに乾いた雑巾で、広間の畳を
一列になって拭きながら、「ありがとうございます、ありがとうございます。」と繰り返す。なんだか馬鹿らしいのだが、これはやれば良いのだから少し運動にもなる。
兎に角やるしかないのだ。
最後、雑巾掛けの後に笑いの練習だ。これはつらい・・・。
楽しくもないのに笑うのだから。これは馬鹿さ加減を通り越している。
笑いの講師が壇上で「皆さん横一列に手をつなぎましょう」と言って、
横一列に手をつなぐ。
「さあ、皆さん、隣の方に挨拶して、両手を大きく上げて、さぁ皆さん、たのしいですねー、笑いましょう、ワハッハ、ワッハッハ」
どうして笑うことが出来るのだろうか?両手を上げて「ははは」と笑う振りをする。
終わると、
「それぞれペアになってお互いの手を握り、向かいあって目と目をあわせてください。」
手をつないだのは、80才くらいのおばあさま。
「目を見つめ、さあ笑いましょう。両手を上げてわらいましょう!」
笑うどころか、悲しくなってしまう。
どうして、こんなくだらないことをするのだろうか?
中には大きく笑っている人々がいる。
笑いの輪が広がる。しかし、私は笑えない。
寒気がしてくる。この練習が一時間ごとにやってくる。
とても出来ない。こんなことをやらなければ仕事に就くことができないのか?
もう、嫌だ。こんなブザマな自分が情けない。
お前の自尊心はどこに行ったのだ?2日目の午後、流石に忍耐も限界にきた。
家に帰ろうと心に決めた。
翌朝、同室の皆さまの布団を干しながら荷物をまとめる。
家に帰ったら職探しだ。しかし、そう簡単ではない。
研修していても、会社は1日1万円の日当を支給してくれている。
この1万円で家族と暮らしていける。
笑いの練習に堪えて、この収入を確保しなければならないが、私は出来ないと決めた。
しかし、1万円のために笑えないのか?
他の人が事もなげに笑っているのに、何故、自分にはできないのか?
恥をかく勇気もないのか・・・・。
1万円、1万円と念じて笑ってみよう。それしか道はない。
やってやろうじゃないか、再挑戦しよう。道場に戻った。
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感謝の練習
2014年2月28日 貞末良雄のファッションコラム
私の様な俗人が、まじめな課題に取り組むのは、いささか恥ずかしい気がする上に
そんな資格があるのか?と思われても仕方のないことなのであるが。
37歳のときである。私が勤めていた会社(1800人の従業員・年商400億円)が倒産した。
予想されたことであったが、他に例をみないこのユニークなFASHION産業は、たとえ経営が困難になったとしても、どこからか救済の手が伸びくると、楽観的な見方もあった。
しかし、1978年4月6日、紛れもなく倒産した。
その後3~4か月、後輩たちの再就職に奔走したが、自分自身のことは最後になってしまった。どこかで拾ってくれる企業があるかもしれない。と考えたが、いつまで経っても声は掛からない。生活を支えなければならない。妻と子供3人、5人家族である。
なにもなければ、包丁研ぎでもやるか?研ぎには、子供の頃、母の料理食堂の手伝いで少しは経験もある。しかし、それで一家5人の生計が・・・?
母がラーメン屋からスタートして料理店をやっている。私も、ラーメン屋から始めてみるか?と思い母に打診。にべもなく断られてしまった。ラーメン屋は60才からなら応援もする。貴殿は37才、もっと世のため、人のために働きなさい。
万策尽きてしまった。12年もVANに努め、それなりの実績を残したつもりであった。
あまりにも猛烈社員でありすぎたのか?私を快く迎えてくれる業界の会社はなかったのだ。しかし、なんとか生き延びなければならない。
一通の手紙がきた。
ヘッドハンティングされる様な大物でもない。
人材銀行というのだろうか?人材紹介の会社からである。
物流の心得があるので、ヨーカ堂の物流センターはどうか?
入社には、当時の伊藤社長の面接が必要で、一か月後である。
もうひとつは、当時、世界に飛躍するスーパーヤオハンであった。
土地購入のローンもあり、銀行からは、一日も早く収入の確定を促された。
ヤオハンの和田社長は即面接可能。
静岡県の三島市が本部である。都落ちだ、少々寂しい。しかし、そんなことは言っていられない。とにかく収入をゲットすることが急務。
役員面接8人中7人には不合格。こんな生意気な奴!と思われた様である。
(後に知ったことだが、役員に口応えすることなど、100%不可の社風であった)
最後の和田社長面接では
「貞末さん、私の会社役員のほとんどが、あなたを不合格としました。だから、私はあなたを採用したいと思います。そんな人が私はほしかった。しかし、貞末さん、規律乱すことなく、和を大切にしてください。」
次に社長のお母様、和田かつさん(おしんのモデルに成ったひと)に会うと、
「貞末さん、あなたはきかん気な顔をしている。仕事も良くやってくれるだろう。しかし、会社のTOPは和田和夫だ。それを大切にして、和田和夫を助けてほしい。」
最後は副社長である和夫社長の弟。
「貞末さん、ハイという練習をしてください。上役になんでも反発するのではなく、とにかくハイ、と受ける練習をしてほしい。才気があるからすぐに反論も出来るであろう。
しかし反論は1週間まってやってくれないか?」
これで晴れて入社。首はつながったのだ。
しかし、これで終わりではなかった。河口湖の練成道場で10日間勉強してほしい。
そのレポート提出で入社が決定される。
谷口雅春という方が、悟りを開き広めた生長の家道場であった。
やれやれ、宗教は大嫌いときている。
道場の門をくぐり、入口に立つ3人の女性がいきなり手をあわせ「ありがとうございます」
私はまだ何もしていない。感謝される覚えはない。戸惑ってしまう。
いきなり、教材15,000円の購入が決められている。
10日分の食券30食。A3の大きさで切り取り線が入っている。
これを全部使わなければならない。気の遠くなる様な量だ。
部屋は1階奥の6号室、誰も案内してくれない。
部屋を探しながら廊下をあるく。すれ違う人たちが皆、私に挨拶する。
皆が皆、手を合わせ「ありがとうございます」
何なのだ。狂人の世界に迷い込んだのか?
それにしても、皆、もの静かできれいな佇まいだ。
部屋に入っても誰もいない。6人部屋と聞いた。所在なく座っていると、
部屋の拡声機から何やら人の話し声が聞こえてくる。講堂があるらしい。
近づいてみると驚いたことに約300人もの人が講義を聞いている。
語り手は姑を殺して刑期を終えた50才くらいの女性であった。
凄まじい反省と後悔、腸が捻じれるような号泣、刑は終えたが、私は許されるべきてはない。何故あの様な恐ろしい事をやってしまったのか?
人を殺してまで自分は楽になりたかったのか?何故、私に堪える力、どんな小さな事でも姑に感謝の気持ちが持てなかったのか?全部が全部、何故否定してしまったのか。
地獄に落ちたが救われたい。すべてを皆の前で懺悔して許されたい。
私は茫然として立ち竦んでしまった。
次は、ガンに侵され余命1カ月位の老人の話であった。
あと1カ月、自分の人生、その犯してきた罪の深さ。人は殺さなかったが、私は許されるべき人間ではない。この道場で生のある限り、償いの日々を送りたい。この様な主旨であった。300人の方々が何らかの理由で、罪の意識から解放されて救われたい。懺悔して救われたいと思っているのであった。多くの重病の方々も最後の救いを求めていた。
私は37才で会社が倒産し、無一文、一からやり直しの人生。しかし、兄弟は何事もなく裕福に暮らしている。私の様な不幸な運命は他に無いだろうと今まで思っていたが、何という光景であろうか?私の不幸などというものは、とるに足らないことではないか。
私の心も体も健康だ。妻や子供たちも健康だ。これに勝る幸せがどこにあるのだろうか?私は幸せなのだ。
道場での話は一旦筆を置いて。感謝についてである。
ありがとうの言葉の裏に感謝がある。会社を設立し、電話一本、机一つでスタートする。
誰からも何日も電話一本もかかってこない。SMRオフィス、経験を生かしてコンサルの仕事もやろう!しかし、電話はいつまでも鳴らない。
4~5日経っただろうか?電話が鳴った。思わず電話に飛びついた。
有難う、電話下さって。電話一本が砂漠のオアシスの様なものだ。有難い、感謝感謝だ。
当たり前のことと思いがちであるが、考えてみれば私たちの周りには、感謝に値することがあふれている。何事にも感謝出来ることを探し、感謝する練習を始めることだ。
そうすれば、沢山の感謝を発見するスキルが上達する。
こんなにたくさんの感謝を探し出すことが出来れば、不平や不満、相対的に比重が下がってくる。感謝できれば、それは幸せに通じている。感謝出来れば「ありがとう」が自然に声になる。
人生には、嫌なことや自分に失望することも多くある。
又、それによって、希望を失ってしまったりする。
そして、自分の不幸の比重が増加する。そんな時こそ、周りに満ち溢れるだけある感謝すべきこと、自分が健康であること。親兄弟が健在であること、友に恵まれていること、
優しい自分を失っていないこと、未だ私は生きていること、生かされていること、そんな沢山の感謝出来ることに囲まれている。
それを、練習を重ねて探し出し素晴らしい健全な精神を養うことである。
“感謝の練習”
こんな考えてもいなかったことも、練習があなたを救ってくれると確信している。
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成りたい自分に成る【最終章】
2014年1月31日 貞末良雄のファッションコラム
私のコラムを読んだ人から「私にはもう一人の人間(自分)が居ない。どう考えたら良いのですか?」
予期しない疑問に一瞬戸惑ってしまった。この人はどんな生き方をしてきた人なのだろうか?
駄目な自分を励ましたり、慰めたりしてくれる母親のような存在がもう一人の自分なのだが、その様に考えたことがないのかもしれない。もう一人の自分を騙すことは出来ない。世間は誰も本当の事を言ってくれないが、もう一人の自分は正直に欠点を指摘してくれる。
もう一人の自分はいつも自分の味方なのだ。自分の欠点も良い処もみんな知っている。
親の庇護下にある時は、意識しないこともあるのだろうが、一人で社会に出て自立し、自分の力で生きていくとなったら、強力な味方が必要だろう。それがもう一人の自分である。一生涯付き合ってくれる理想の友人だ。一方、永久の厳しい批判者でもある。
駄目な自分を決してあきらめないで叱咤激励してくれる。一人ぼっちになったとき、励ましてくれる。もっと頑張りなさい。やると決めたのに何故やらないのですか。それは他人のせいではありませんよ。あなたが弱いからですよね。
あなたは善人だといっているが、本当は違うかもしれないという事を知っていますよね。嘘はついていないと強弁しましたが、本当は嘘つきましたよね。
明日からは勇気を出して、正直にやりましょうと決意しても、そうして又、同じ事を繰り返す自分に少々嫌気をさしてくる。その時、何とあなたは駄目な人なのですかと厳しく叱ってくれるのも、もう一人の自分なのです。
そうして何時の時点からか、自分はあんな人に成りたい、誰かを理想として目標を持つように成ってくる。自分の成長と共に、理想像も変わってくる。成りたい自分の具体像が鮮明になってくる。自分が成るべく、具体像の一つ一つに近づき克服しようとする。
例えば、誰からも好かれ、異性からもてるという事とは一体どんなことなのか、考える事が始まる。
好かれる要素や、もてる要素を深く掘り下げ、はたして自分にはその要素があるのだろうか。生まれつきの脚の長さや顔型はどうすることも出来ない。それが全てではない筈だ。誰からも好かれ、異性に人気のある人と、自分の距離を考えてみる。そんな人に近づけるには、何か必要なのか、どんな努力が必要なのか。このようになりたい自分への修業が始まる。成りたい自分はこれだけではない筈だ。
ここまでの話は自分の事だけを考えている例だ。自分がこの世に存在することが、他人にとっても意義のある自分に成らなければならない。もしかしたら、それこそが自分が世の中に存在する意味なのではないか。生まれてきた以上は、自分の存在する意義を見つけ出し、他の人達からあの人が居なくては困ると言われる様な存在に成りたい。
自分の存在する意義を発見したら、その人は強くなれる。誰にも負けない信念が生まれ、努力することや苦労することも楽しくなってくる。真の生き甲斐が生まれる。
この大テーマに挑戦するとしたら、どんなことから始めるのか、どの様なことが他人からみて価値のあることなのか。考えて考えて考え抜かなければならない。
生まれて何となく生きてきた。考えると言っても、こんなことを考えた事もなかった。毎日の生活で一喜一憂していたが、いつまで経っても同じような些細なことに悩んだり、悲しんだりする。27歳になったが、17歳の時の自分と全然変わっていない。成長していないのかもしれない。こんなことを10年後も続けているのかなあ。
一体自分とは何者なのだろうか。それが分析出来なければ、成長処方箋が書けない。
自分とは何か、他人とは何か、異性とは何か、友人とは何なのだろうか。私に親友はいるだろうが、自分がそう想っていても、相手はどう思っているのだろうか。
幸いにして、人間には考える能力が与えられている。考える事の無い生活は、動物と同じなのではないか。
さあ皆様、考えましょう。今からでも遅くありません。
成りたい自分に成る【3】
2013年9月20日 貞末良雄のファッションコラム
若い社員から質問を受けた。
「今の自分が判らないのに成りたい自分なんて考えることが出来ない。」
今の自分とは、どんな人間なのだろうかと考えている自分である。
私は正義感があり、優しくて思いやりもあり、人の意見に耳を傾け、相手にとってなくてはならない友であり、私の存在は世の中を良くしていくだろう。
とにかく私は正しい人間なのだ・・・
と、私の良い面を列挙してみるとよい。
次に私の悪いところだ。
もしかしたら、私は意地悪かもしれない。とにかく人に優しくなれないのだ。
機嫌の悪いときは不親切だ。時に不親切かもしれない。
私は極端にけちだ。人に借りたお金は返したくない。
人の成功がうれしくない。嫉妬心が強すぎる。
不幸な人を見ると安心する。感謝の気持ちを持ったこともない。
考えてみれば友人と話をするとき、いつも自分が話していて、人の話を聴いていないかもしれない。
人は私の事を可愛らしいと言っているが反対なのではないか・・・
人はこの様に自分の良い面と悪い面を認めている。認めていないとしたらその人は未だ幼児で5才以下の精神年齢と考えなければならない。
しかしながら、この「自分は絶対正しく、悪い面などあり得ない。もしそう他人が思うとしたらそう思う人が悪いので、自分は悪くない。」こんな人が多いことも事実である。
何人かの人の上に立って仕事する地位の高い人の中にも、このような方が結構いるものである。
そこで、自分とはどんな人間なのか、主観でなく、客観的に考えてみる。
しかし自分で自分を客観的にみることなど、到底難しい。
そこで人間は一人で生きているわけでないので、自分の周りの人達から自分を判定してもらう、批評してもらうことが重要となる。人の意見は一人でなく複数の方がよい。自分の良い点は別にして、悪いところを正直に言ってくれる人はいるだろうか。
これも捜すのは難しい。人はリスクを冒してまで真剣に自分の事を、まして欠点など言ってくれるわけはない。
そこで初めて、自分は何者であるか判断する道を失うことになる。
自分を信じて思った通りやる。猛烈に努力する。それは何人も敬意を表してくれる。仕事も成功する。
とにかくまっしぐらに何事もやる。しかし大失敗もする。
この失敗は他人が悪いのか、自分の中に問題があったのか。
他人のせいにする人は何も学ばないが、もしかしたらこれは自分にその責任があったのではと、考えれる人は成功への道を歩むことも出来る上に、他人の忠言を聴く耳が発達する。自分の欠点を言われて、楽しい人はいない。
しかし、大きな失敗を重ねた人はそれを聴く度量が大きくなる。
初めて、主観的にも客観的にも自分の姿が観えてくる。
自分の周りで起きること、取り巻く世界は、全て自分が創り出していることを悟るからだ。
自分が何者か知りたければ、他人の力を借りるしかない。
しかし、他人は力を貸してくれない。自分が与えなければ報いはない。
他人との付合は真剣さが要求される。
この人には忠告したほうが良い。欠点を教えてあげたほうが良い。
そうすれば、大きな反発を買う。大きなリスクを負うのだ。何事もしなければリスクはないし、誰にも喜ばれないことなどやらない方が良い。誰しもこう考えるかもしれないが、あえて挑戦することだ。虎穴に入らずんば虎児を得ず(リスクを冒さなければ何も得ることはできない)
リスクを冒しチャレンジしなければ、本当の友人も生まれないし、自分も成長しない。
人の欠点を言う時、初めて自分はどうなのだろうかと思う。
この人はこの点が悪く、問題があるのだと思ったら、腹に収めないで言葉にすることだ。思いもよらない反撃をくらい、友を失うこともある。
しかしここで去る者は友としての価値もないのだ。
成りたい自分の原点は、次の様に考えてみることは出来ないだろうか。
人間は一人で生きていない。社会、集団の中で生きている。
自分が世に存在することが、他の人達に取って有益であることが、その人の存在が意義あるものとして、他人から認められる。
仕事上でも、友人関係、親子関係でも基本である。
私が居るからお前たちが居るのではなくて、他人から認められて初めて自分が居るのだ。
自分の存在は他人が決めてくれる。
勉強が一番で、運動能力も一番で、美人、美男子で、仕事も誰にも負けない。
だから、私はいつもOK。価値ある人間であるとしても、他人からは嫌味なやつ。
鼻持ちならなくて、思いやりもない、自分以外は虫けらだと思っているやつとすれば、誰からも評価されないだろう。
狭いスポーツの世界や学問の世界では、No.1の特殊能力は他人からは大いに評価されるだろうが、一般人として社会に出た時に、その人が自分の栄光をいつまでも口にすれば、評価されることはない。狭い世界でも一流人の多くは、一般社会でも一流の確率は高いが、総べての人に当てはまるわけではない。
人はどんな苦しみも悩みも死んでしまえば何も無くなる、解放される。
自殺する人が絶えない。
しかし、考えてみよう。
与えられた生命。
自分の意志で生まれてきたわけではないが、自殺しなくてもいつの日か生命は終了する。考えれば胸が張り裂ける様な恐怖ではないか。
それでも人々はその事を知りながらこつこつと努力を重ねる。
だから人間はすごい動物なのだ。
人間としての度量を大きくすること(人を許す力)にはげみ、自分の存在が、人々から感謝されるような自分、駄目だと思った自分が、こんなに努力しているのだと、自分を誉める。お前よくやったな、と・・・
勇気も体力も知力もない自分が、それでも今日は勇気を出して体力知力の限りやった。
その努力、一生懸命さが人々に感動を与える。
自分だけの為でなく、友人、知人、自分の周りの人達の為にこんな自分でもよくやったと自分を誉める日々を続けることが出来れば、自分には嘘はつけないのだから、やがて成りたい自分の実像が見えてくるのだ。
自分ともう一人の自分が和解する、握手するとき、自己矛盾から解放される。
自分の成りたい自分に近づく瞬間でもある。
ニューヨーク出店秘話
2013年8月16日 貞末良雄のファッションコラム
New York出店は、何が何でも成功しなければならなかった。
日本人が西欧のシャツを売る。多くのアメリカ人はそれを不可能だと思うに違いない。
鎌倉シャツがどんなに知名度が高くてもそれは日本での事である。私がNew York出店を2008年に新聞発表したとき、取引工場も業界の方々も、恐らく誰も信じてはいなかったと思う。
私達が勉強して工場の皆様の技術を高め、そのシャツがファッションの世界でも、価値のあるものと認めてもらう必要がある。
鎌倉シャツは知名度が高いですと私達がいくら大声をあげても、New Yorkの人は誰も耳を傾けてはくれない。西欧や米国、とりわけNew Yorkを研究すればするほど、私達のNew York進出の正当性を主張するには無理があると考えていた。
折しも、弊社社長貞末民子がパリに訪問した際、こんな本がパリの有名セレクトショップで堆く積まれて販売されていたと一冊の本を持ち帰っていた。これが『THE IVY LOOK』である。
英国人の著したこの本が世界6カ国で販売され、IVY発祥の地アメリカでも話題となり、古きよきアメリカの復活、こんなテーマがファッションメーカーや若いデザイナーに強い刺激を与え、IVYブームが再来したのである。
IVYの事は理解している、何かのヒントがあるのではないかと、この本の1頁から目を凝らし舐めるように読んでいった。
ついに180頁に、『この本の資料の大半は日本に在った。IVYの世界は日本がそのルーツであり、それが西欧の起源であったとしても、このIVYの世界は東洋の日本が西欧に勝ったのである』と、更にそれを世に出した日本のVAN JACKET及び石津謙介に感謝していると、著者グレアム・マーシュさんは記していたのだ。
私はVAN JACKETに25~37才まで勤務した経験がある。その経験を彼に伝え、IVYの精神を語るボタンダウンシャツを贈り、評価に値するかを問い、彼が納得するものであればNew York進出への推薦状を書いて欲しいとお願いした。彼は私達のつくったボタンダウンシャツを高く評価してくれて、喜んで推薦状を書いてくれたのだ。New York出店、開店前の店頭告知看板にある文章は皆様もご存知の通りでしょう。
【グレアム・マーシュさんからの推薦状】
優れた著名な会社、鎌倉シャツがMADISON New York第一号店を出すという。
日本人の物づくり、精緻な技術、英国人の私にとっても、これは何の不思議な事ではありません。成功を信じています。
私はこの瞬間New York進出の成功を確信したのです。
2012年10月30日の開店には、グレアム・マーシュさんを招待した。
彼は1960年代のアメリカのもっとも栄光の時代の物づくりのすばらしさを知っている芸術家でもあった。彼には鎌倉シャツに出会えたことが運命的な衝撃であったように思えた。
彼の永年の願望、あの素晴らしかった60年代の製品を今の若い人達、またあの頃を知る彼と同世代の人達にも懐かしい商品を再現したい。
強い思いを実現しようにも、すでに米国にも英国にも、かつての製品を実現できる会社も工場もない。
鎌倉シャツに出会った彼は夢の実現をしたく、私に熱っぽく語った。開店記念のパーティでは私の隣に座り、当時のシャツのスケッチを描きながら永年の夢を語り始めたのだ。あまりにも真剣で、ワインを飲む時間もない。3ヵ月後2013年1月にはロンドンに行き、詳しい話をすると約束した。
ロンドンからは、当時のエクリュ(生成色)のオックスフォード生地、シャンブレーのシャツ地を探して持参するように…とすごい熱の入れようだった。
年初め5日、ロンドンのレストランでは食べるのも忘れ、持参した生地を触り、まさにこれだ!と叫んでいた。この時、鎌倉シャツとグレアム・マーシュさんとのコラボレーションがスタートしたのだ。
思い知らされた男の装い ~ニューヨーク所感~
2013年3月18日 貞末良雄のファッションコラム
ニューヨーク出店でつくづく思い知らされたのは、
服飾について知識があるのは、私達の様な業界人だけだと、自負していたが、
あの大味で細部への気配りなど無縁と考えていた彼らの中には、とてつもなく
凄い奴らが居たことだ。
男性自身のあるべき姿を追求をし、自分が他の人からどのように評価されているかを
考え、知ろうとする努力である。多民族で構成されている(UNITED)国であるから、
又、激しい競争に身を置いているから…であるが故にそれでも自分を証明する
手段の一つとして、人格がほとばしる服飾の重要性を認識している。
私は彼らの姿勢に対して畏敬の念すら感じている。
私達の店、商品に対するウェブ上で書き込まれている論評は、
すこぶる好意的で評価の高いものであるが、
メードインジャパンの素晴らしさや、今後の我々の(もっとアメリカを知ること)
勉強への期待に満ち溢れており、これ程までに情緒豊かな商品への期待と歓迎は、想定を超えている。
「胸ポケットが付いていることには失望したが、彼らは直ぐに解決してくれるだろう。」
「生地の光沢、衿の柔らかさは想像もしていなかった。」
注)弊社では接着していない、昔ながらの綿芯を使っている
「販売スタッフの親切、丁寧さ、
あの小さな店はグレートで、エレガントな店だぞ!一見の価値有り」
と、公平で暖かい様々なアドヴァイスを頂いている。
ニューヨークを、公務や商用で訪れる他国からの来店も多い。
英国、仏国、メキシコ、イタリア等からも是非とも、というお誘いも受けている。
日本人が知らない日本の力を知っているのだ。日本にはすごい力があるのだ。
こんな当たり前のことを、知らなかった自分が情けない。
反省と勉強に拍車を掛けねばならない。
彼らの装いの神髄は『上質なものは、あくまでもシンプルであるべきだ 』
その一言に尽きるという事を知っていることだ。
シャツの胸ポケットに物を入れたら、シルエットが美しくなくなってしまう。
上衣には、沢山のポケットがあるが、上等なスーツのポケットには物を入れない。
なぜなら、型が崩れるということを知っているからだ。
昨今の日本のクールビズシャツブームは、人格を貶めるものである。
シャツの衿が二枚になっていたり、色釦がついていたり、ボタンホールに色糸を
使っていたりする。
ICチップがついている社員証を首から下げているサラリーマン。
せっかく、スーツ、シャツ、ネクタイをコーディネートしていても、
赤、緑の色紐が全て台無しにしている。
便利がよく会社の都合で支給されるものに、何も考えず従う国民性には絶望してしまう。
クールビズもしかり、会社のTopがやるから無批判に右へ倣えである。
服装は自分の都合だけでない。相手への礼儀をはらうべきものと、いう事を忘れている。
会社のTopにある人が絶対に偉く、正しいとは限らないのだから。
まして、洋服の文化など、知識のないかもしれない会社のTopを、模倣するなど
甚だ自分にとって、リスキーな事と思ってほしい。
Topマネジメントの方々についてはこんな事を考えて欲しいものだ。
自社が海外と向き合う時に、服装はどうあるべきか?自己都合だけでよいのか?
外国語を修得する前に礼節だ。服装について考えを巡らせて欲しい。
ニューヨークジェントルマンは、まさにこの事の大切さを知っている。
プロの私達ですら、うかうかしてはいられない。
一方、私たちも、世界基準を越える商品を創り出す為には、
日本人は手先きが器用であるなどではすまされない。
私達と共に世界を目指そうと誓った工場の皆様にも、
現在の技術力だけでよいのか、考えさせられた。
ニューヨーク開店に駆けつけて下さった工場の皆様11社の方々にも、
さらに高いレベルの基準を設定し、挑戦して戴く事になった。
“百聞は一見に如かず”である。
現地を実感した人達は、新たな挑戦に奮い立っている。
体験する重要さが再確認される毎日である。
やってみなければ、進歩はないのだ。