貞末良雄のファッションコラム
四壽(ヨンスン)永遠のライバル
2017年1月5日 貞末良雄のファッションコラム
彼は私の住む柳井市柳町に突然現れた。私が小学校4年生の時である。
私は柳町のガキ大将であった。
学校が終わり 仲間たちと、缶蹴り・チャンバラ・鬼ごっこ等、毎日楽しく遊びに明け暮れていた。
勉強など誰もしていない、良き時代である。
彼の名は白川 四壽(ヨンスン)大柄で切れ長な鋭い眼光の持ち主で結構ハンサムであった。
彼は韓国人が集団で住んでいる、地域に家族と共に引っ越して来たのである。
彼らは豚を飼育し、山羊を飼い、鶏を育て、その地域は動物糞尿などの入り混じった独特の臭いのする、集落であった。
我々が簡単に踏み込めない独特の雰囲気を醸し出していた。
彼はそこからやってきたのである。今考えてみると、彼は私たちの仲間になりたかったに違いない。
彼は強引に我々グループに割入ってきた。仕方なしに仲間に入れて遊ぶのであるが、どうしても波長が合わなく、途中で喧嘩になってしまう。当然ボスの私と取っ組み合いになる。
私も喧嘩慣れしていて、自信満々であったが、彼は何時も巧みに私の背中を取り、軽々と私を抱え上げて地面に叩き付ける。
恐ろしい力で、その衝撃は声も出ない悶絶の一歩手前である。
呻いている私を見下し、彼は悠然と引き揚げていく。
何度戦っても絶対に勝てない。
何時もの結果が待っていたが、私は絶対に“参った”と言わない。
勝負は決着していない。でも私には勝つ術がない。そんな日々であった。
5年生になっていた、ある日、私の家からほど遠くない坂道の八百屋の前で、先輩に交わって遊んでいたら、彼ヨンスンが現れ、私に喧嘩を売ってきた。
激しい言葉の応酬の後、彼は一旦引き揚げ、青竹のこん棒を引っ提げてやってきた。
彼は私を殴ると言う、殴れるものならやってみろと、一歩前に出た。
まさか殴る事はあるまい。
得物を使い喧嘩するのはルール違反だ。たかを括っていた。
しかし彼は青竹を振るってきた。頭を一撃された。痛みよりは、まさか?の驚き。
思わず左手を頭にやると、生ぬるい血がべっとり手を濡らしている。
やがて顔面一杯に血が垂れてくる。
彼はその出血の凄さに顔面蒼白になっている。
私は痛みよりは、これで彼に勝ったと思い、このチャンスを逃すものかと、逃げ込んだ彼の家まで追いかけた。
玄関前で「ヨンスン出てこい」と叫ぶ、何事かと両親が顔を出す。
その驚いた様子に私は大声で 「まどえ まどえ」 (元に戻せ 償え 柳井弁である) 何度も連呼した。
あの大きな親爺さんもぶるぶる震えている。ヨンスンを出せ、私は勝ち誇って大声でわめいていた。
異変を聞いた長女の葉子姉さんがやってくる。
「よちゃん、どうしたの?」
「大変だ、直ぐお医者さまに」 と近くの外科医に連れられた。
幸い2針の縫合ですんだが、頭は包帯でぐるぐる巻きだ。
名誉の負傷だ。この姿は迫力満点だ。
家に連れて帰ろうとする姉を遮って、やり残したことがあるからと、再度ヨンスンの家の前に立つ。
「この包帯が見えないのか、 まどえ まどえ」 怖がって誰も外に出てこない。
完全な勝利をものにできた。トドメを刺したのだ。
代償に山羊を戴くことにした。
「山羊を貰っていくぞ」 と大声で、繋いであった山羊を引いて帰る。
山羊がどれだけ彼らにとって貴重であるかは判っていた。
家に山羊は必要ない、帰り道の川の辺から山羊を蹴落とした。
山羊は大丈夫、泳げるし、親爺は直ぐに助けるに違いないから。
その時以来ヨンスンは私たちの目の前から姿を消した。
あれから、何十年経っただろうか。
彼の事は忘れた事はない。40代後半の出来事である。
広島に墓参りに帰省した。
長男の経営する洋品店の入り口前に、七半(ナナハン)と呼ばれる大きなバイク3台が何時も駐車され、困っているという。注意すれば良いではないか?
兄は、「それが難しいんじゃー」
どうせならず者の仕業だろう。困ることは困るのだから。私はすぐさま、大きなバイクを移動させようとした。そのときである、3人の大柄なやくざ風の男たちに囲まれた。
「何をしとるんじゃい」
今にも殴りかからんばかりのその時、突然恰好よい偉丈夫いかにもやくざの兄貴分風の彼は、いきなり3人のやくざ者を平手打ちして、「てめいら、何をしとるんじゃあー」
「お前らが束になって掛かっても勝てる相手じゃない」、と私を見つめ、「よちゃん、久しぶりじゃ、
あんたは強かったのおー」 彼が手を差し出し、握手した。目を見つめあった。
もし今度何かあったら、この俺に連絡してくれ。
奇跡の一瞬であった、懐かしいライバルが救世主として、現れたのだ。
彼も忘れていなかったのだ。
喧嘩に明けくれた、わんぱく時代も無駄ではなかったのだ。
何時も怯まないでいたい。こんな道を歩いてきた。
彼は秘かに私を尊敬していたのかも??嬉しかった。
Coming Soon (New Version)『それを Manhattan Model と呼びます』
2016年10月3日 貞末良雄のファッションコラム
私たちが目指した、世界基準はナポリの職人技によるハンドメイドシャツである。
手縫いによる職人の技術が作り上げた傑作であり、その価格は数万円と最高の価格である。
限りなくそのレベルに近づき、ミシンによる縫製を可能にして、私たちのお客様に手の届く価格が課題であった。
当然ではあるが、それこそが鎌倉シャツの物づくりであり、商品が皆さまに語りかける物でなければなりません。
2012年それは、New York 進出に始まります。
日本人が西欧のシャツをつくり、西欧人に認めてもらい購入していただけることです。
幸いに私たちは『IVY LOOK』に関する経験と知識がありました。
「日本人には無理だ。」と言われましたが、私たちの物づくりと、アメリカ文化に対する蓄積は、開店と同時に大きな関心を集めました。
何故なら、もはやアメリカには、Made in USA のシャツは稀で、中国製・ヴェトナム製以外に購入の選択肢がなかったのです。
彼らは、私に「本当に日本製ですか?」と何度も念を押しました。
「これだけのシャツがこの価格!」驚きと尊敬を集めました。
そして「よく来てくれた。」と、彼らの応援が始まりました。
「どうか継続して欲しい、決して撤退しないでください」と。
流石に歴史ある、彼らの洋服に対する知識・見識は、想像を絶するものでした。
彼らは私たちに、本当に彼らが望むシャツは、こうあるべき、こうして欲しい、ありとあらゆるリクエストを頂きました。
世界最高レベル、そこに到達するべく、彼らの忠告・希望を叶えるべく、私たちの挑戦がスタートしたのです。
4年の歳月が流れました。
彼らにもまして、日本のこだわりのあるお客様にも、満足して頂ける商品が完成しました。
その商品グループに Manhattan Model (マンハッタンモデル)と命名し、一部の店から2016年12月より販売を始めます。
着てみればわかります。
それ以上の説明はできません。
製造・縫製の技術は難度の高いものです。
協力全工場で一斉に製作はできません。
段階的に販売を開始いたします。
ご期待ください。
(価格は5,900円(税抜)、USA $89 を予定しております)
Coming Soon (新しいシャツの誕生)
2016年8月22日 貞末良雄のファッションコラム
世界基準へのVersion UP
創業して20年、念願の New York 進出を実現した。
勉強も充分したつもりでの New York である。
日本人が西洋の文化の結晶である、紳士服ワードローブの中でも最も重要なシャツを、アメリカの一等地、New York Madison で販売するのである。
そこは、世界の著名なシャツメーカーが、凌ぎを削っていた。
この地で名声を博したら、第一関門は合格と言える。
3年間で1万人を越える顧客名簿の獲得、Yelp(*) 検索では 5 stars の評価を戴き、順調に Made in Japan、それに加え社員のサービスの徹底が多くのフアンを創り出した。
想像を絶するお洒落なお客様。
こんなにもシャツの好きな、知識豊富なお客様に巡り会えた。
幸運を次に生かしたい。
沢山のアドバイスを戴いた。
襟型、袖ぐりのたわみ、全体を包むホルム、ポケット、上着とシャツのハーモニー。
ジャケットの袖から見えるカフスの角度。
より上品でエレガントなシャツ、こよなく紳士の佇まいを引き出してくれる、そんな、世界のどのメーカーよりも進化したシャツを創りださねばならない。
挑戦が始まった。
先ず設計図である。
シャツは構造物であり、人体を包み込む構造物は平面図から始まる。
人体は丸みを帯びた角の無い構造物である。
平面の設計図から人体を包み込む。
立体構造は、縫製の技に負うところが多い。
精密な設計図と工場の製造技術の調和なくして、世界を唸らせる製品の誕生は到底実現しない。
世界的巨匠と言われる設計者に我々の思いを伝え、工場の技術者との格闘の末、ここまでやれるのかと言われるような、新たな Version が誕生した。
工場の作業工程は難度の高いハードルを越えて頂いた。
日本の匠の技が結集したのである。
販売価格は5,900円(税抜)以内、驚愕の価格を実現させたいと努力しているところである。
このようにして、私たちのお客様に今以上の感動をお届けする日がそう遠くない事をおしらせしたい。
*Yelp:世界30カ国(約1億4200万人のユーザー)で展開されている口コミサイト
一本の電話
2016年8月5日 貞末良雄のファッションコラム
鎌倉シャツを立ち上げ、店を開店した。
工場と店があればよい、その他の機能は購入されるお客様には、関係のない費用である。
中間マージンを省き それをお客様に還元すれば、お客様は喜んでくださるに違いない。
お客様が価値ある品質で、しかもこんなにお買い得な価格、驚いて顎が外れるくらいの、驚愕の商品、それが実現できれば、起業は間違いなく成功する。
家に籠って仕様書を作成し、設計図・パターンをその道の匠にお願いする。
鎌倉の家からではとても時間的な制約が多い。
都内に事務所を借りることにした。
しかし、この費用は製品の原価に反映してはお客様の利益に反する。
事務所費用を長年培ったアパレルの世界の経験を生かして、コンサルタントとして稼ぎ出そう。
サダマーチャンダイジングの誕生である。
事務所の半分は加茂市にある有名なニッターさんの東京事務所としてお願いして、費用を半分に節約することが出来た。
20坪の事務所にデスク一個、電話一本である。
出来る限りの知人友人関係会社に開業を知らせた。
毎日電話を待つ日が続いた。
しかし、待てど暮らせど電話はかからなかった。
こんなに電話を待った事は、経験がなかった。こんなに電話ってかかってこないものか。
自分の今までのキャリアは何だったのだろうか?
自信を喪失する10日を過ぎたころ、一本の電話が鳴り響いた。
電話に飛びつき、出た言葉は、ただ「有難うございます。」、本当に有り難かったのです。
救われたのです。感謝、感謝でした。
鎌倉シャツは此の大切さ、感謝の気持を、いつまでも忘れない。
こんな意味を込めて、社員は電話コールを2度まで待たせない、有難う電話を続けている。
友人の一人が、大学の講義で、サービスの第一歩は電話で始まる。
その会社の良し悪しは、その会社の電話対応であると講義している。
世界最高の電話対応は、鎌倉シャツであると。
生徒に「試しに電話してみなさい」、この会社は必ず2度以上のコールはさせないと。
顧客創造
2016年6月20日 貞末良雄のファッションコラム
鎌倉シャツを立ち上げたときに考えた事。
小さなコンビニの2階で店を始めた、当然売れないのは当たり前である。
しかし誰か一人でも買ってくれたら、その方はきっと自慢するだろう。
百貨店や専門店で買えば、恐らく12,000円から15,000円するであろう商品を4,900円で販売するのだから。
お買い得で誰かに自慢したくなる、と考えた。
勿論自分でも欲しくなる値段と商品のグレードである。
美味しくて安いお店は、どんな裏筋の狭い店でもお客は訪ねて行くものであることは、食いしん坊の私にはわかっていた。
コンビニの2階でも、必ず商品を判っている人は訪ねてくる、買ってくださる。
1人が2人になる、2人が4人になり、8人になり、16人に32人、64人、128人、256人、このようにいつの日か大勢のお客様で溢れるお店になるだろう。
お金がないから、宣伝費はない、お客様に喜ばれる事が大切で、宣伝費があるのならば、そのお金を使ってもっと良いシャツを作ろう、そのほうがお客様にとって有り難い事にちがいないからだ。
売り上げを幾らにしようか?どれだけ売れば良いのか?しかし目標を決めても、それを実現する方法は見つからない。
さればどうするか?出来ることは 親切に正直に笑顔で心からおもてなしが出来る事だ。
その心がお客様に伝わり、ファンが生まれ、お客様の数を増やす事になる。
これならば誰でもやろうと思えば出来る、売り上げを上げる手段は見つからないが、お客の数を1日1人増やすことができれば、その店は大勢のお客様に恵まれる日が、必ずやってくる。
サービスは大企業も小さなお店でも、平等に行使できる。
大企業のサービスが絶対に強いという事はない、皆平等だ。
雑誌「Hanako」に掲載という幸運もあったが、基本的にはこのようにして、お客様を創りあげたのでした。
4,900円の値段はこの品質でこの値段はお客様が驚いて顎が外れる値段であった。
買わなければ損をする、そんな気持ちになってしまう、品質と価格設定をした。
値段は仕入れ価格とは関係はない、その値段がお客様に納得していただけるかどうかだ。
値段は小売業の責任で決定権を持たねばならない。
シャツを創るためにかかる費用は、一店舗の力では所詮他の大手の会社の資金力に勝てる訳もない。
だからと言って、私たちには力がありません、仕入値段が高いのですから、これに自分の利益を上乗せした金額で販売したとして、お客様が可愛そうだからと言って高い価格を認めてくれるだろうか?
これは絶対にありえない。
お客様にとっては、その店が幾らで仕入れているかなどは、関係がないのである。
お客様は単純に値段に反応するのです。
自分にもっと力があればもっと割安な仕入れが出来る、と思ったがそれは、望むべくもないのでした。
お客様が買って下さらなければ、シャツは売れない、当たり前である。
自分の力のなさをお客様に負担して貰うなど、できないのだから、利益がでなくてもお客様が喜んで買って下さることが重要で、買って下さる顧客の増加が、やがてお客様から、利益の一部を戴ける日が来ると考え、頑張ることしか、当時の私たちにはありませんでした。
真の商人になって見せる、その理想を掲げ正しい商取引、買い手が何時も有利という、売り手を苛める、そんな業界の悪しき習慣を経験して、私こそはと創業当時決意したのです。
柳井の天神祭り~思いは通ず~
2016年2月8日 貞末良雄のファッションコラム
子供の頃、祭は田舎町で一大行事であった。
12年振りに私の住む柳井町に大名行列の当番がやってくる。
町を挙げて準備が始まっていた。(1951年11才 私は小学校五年生だった)
毎年観る行列は、強烈な印象があった。
馬に乗った大名、それに続く太刀持ち(たちもち)、若党の集団。
私は太刀持ちの持っている太刀に憧れていた。
天神祭りに私もあの太刀を持って、町内を練り歩きたい。
塚本和子ちゃんや、桧垣さん(美人)や、友人皆に見てもらいたい。
学校が終わるとすぐに町を仕切る林染料店に行き、林さんに「私に太刀持ちをやらせてほしい」と懇願したが、全く取り合ってもらえない。
家の縁側に腰掛け座り込む。3時間も座り込んだだろうか?やがて夕食の時間になり、食卓に夕食が用意されはじめた。
町一番のお金持ちだけあって、その食事の豪華なことにびっくりする。
これ以上座っていると、夕食にありつきたいと思われてしまうので、諦めて家に帰った。
次の日も、次の日も、同じ様に座り込んだが、全く相手にしてもらえない。
一週間も毎日座り込んだだろうか?ついに林さんが母を訪ねてきた。
林さん曰く
「奥さん、困っているのだよ。あんたの息子が毎日、私の家に座り込んで太刀持ちをやらせろとせがむんじゃ。こう言っては悪いが、太刀持ちをやれるのは、金持ちの身分しかやれないことで、あんたの家ではとても無理。息子を説得してくれんか?若党の役でよいのではないか?」
(若党はその他大勢でこれだけはやりたくない・・・)
母は、戦前裕福であった頃を思い、この屈辱に耐えられなかった。戦争で全てを失っていた。
「林さん、それでは、いか程の寄付をすれば、太刀持ちをやらせてもらえますか?」
母は、嫁入りの着物、指輪、全てを売り払った。
そんな事があったとは、後に判った事であったが、晴れて、私は太刀持ちの大任を得ることになった。
夜8時から新市町にある天神様で参拝の練習である。
毎夜、母の付添いで練習をした。私は得意満面である。
やりたい!やってみせる!執念は実った。
その陰で母の強い愛情に支えられていたのであった。
私達家族9人の生活は、広島で商売をしている父からの毎月の仕送りで賄っていた。
仕送りが遅れたり、途絶えたりと、母の苦労は絶えなかったのである。
やがて父に愛人が出来た。母の哀しい表情は忘れられない。母を助けたい。子供心にそんなことを思っていた。
母は自立する決意をする。
“小さな食堂をやろう!”
広島で小政という評判のラーメン屋に父が服を売って、貸し付けた支払が滞っていた。
その借金のかたに料理を教えてくれたら借金を棒引きするという約束で、コックさんが柳井にやってきた。
家中大騒ぎであった。ラーメン屋は家の玄関を取り壊して新しく食堂にすることになった。
15席くらいの小さな食堂の計画であったが、なんせ一銭のお金もない状態である。
無謀な決断であった。
知人の大工、木村さんは、材料さえあれば、出世払いで作ってあげると約束してくれたが、材木が必要だ。
夏の夜、母は、私に一緒に行ってくれと、2里近くある川の上流の材木屋を訪れることに成った。道すがら、お前は守り神だからと。
材木屋は浴衣姿で上機嫌で迎えてくれたが、母が「お金が無いのですが、必ず支払うので、一時材木を貸してほしい。」とお願いすると、ご主人は「いくらなんでも見も知らぬ方が、突然訪れてきて貸してくれと言われても、それは無理ですよ。」福よかな赤ら顔も困惑の表情であった。
その時、奥様が冷たい麦茶を運んでこられ、話を聞いていたらしく、「お父さん、この山一杯の材木を持っていて、この方にお貸しすることは、何でもないことではないですか?見れば、子供さんを連れてこられ、人をだます様な方には思えないではないですか。貸してあげてください。」
この一言で、無事、小さなラーメン店が開業した。
母曰く「小さなお前がどうしても太刀持ちをしたいとその思いを遂げた。懸命に参拝を練習するお前を見て、母の私がその不幸を悲しんでばかりいてどうなるだろうか?お前に導かれて、私も決意をした。」
母の強い思いが実現した瞬間であった。
その後、やがて大きな料理店となり、母は父を凌ぐ商いを実現した。
思いは実現する。
私の生涯を決定づけた経験であった。
スーツは戦うための服装だ
2016年2月5日 貞末良雄のファッションコラム
スーツは鎧だ。甲冑だ
スーツ姿というのは、ビジネスという戦場で着る、戦いのための服装です。いわば、鎧(よろい)、甲冑(かっちゅう)のようなもの。体にぴったりとあうスーツをまとい、ネクタイをきりりと締めて、緊張感を作り出し、自分を奮い立たせるものなのです。中にはリラックスできるからと、ゆったりめのスーツを好む人もいるようですが、緊張感なくしてリラックスなどありえません。
そして鎧や甲冑というのは機能性だけではなく、洋の東西を問わず、見た目にも気を使っていた。ある時は威嚇し、ある時は思わず目を奪われるような鮮やかな姿で、相手を精神的に圧倒したわけです。
現代の戦い、すなわちビジネスにも同じことが言えます。対人コミュニケーションにおいて、ノン・バーバル(言語以外の)情報が、言葉よりはるかに多くのことを伝えている、ということをよく認識したほうがいいでしょう。話す人の服装というのも重要な情報です。それを意識することで自信が生まれ、さらにプラスの効果を生み出します。お互いの利害関係を調整する交渉の場であればなおさらです。
服装より中身だ、という人もいるかも知れません。ですが、グローバルにビジネスを展開しようとしたら、そんな悠長なことは言っていられません。1回の会議やプレゼンテーションでYES、NOの結論がほぼ出てしまう事は珍しくない。服装を軽視しては、成功は望めないでしょう。欧米の人は特に服装を良く見ているし、話題にもします。それは、相手が自分と共通の目的を理解できる人間なのか、そうではないのか、服装から読み取ろうとしているのです。
スーツ姿は、セクシーだ
スーツを着こなしてビジネスに取り組む姿が、実は非常にセクシーなものであるということを、どれほどの日本人が理解しているでしょうか。英国で生まれ、長い年月をかけて育まれてきたスーツには、男性をいかに美しく見せるか、という叡智が詰め込まれています。そして、それが戦いに臨む服装であるということが、そこにセクシーさを加えるのです。死への一里塚に立った戦士が、あでやかな甲冑を身にまとう。それは究極のダンディズムであり、男女を問わず、人をひき付けてやみません。
スーツを買うことは自分への投資だ
戦いの服であるスーツやシャツを選ぶのを、人任せにしてしまうのはいただけません。自分に似合うもの、自分を強く、魅力的に見せてくれるものはどういう服装なのか、自分なりによく考えてみることです。そうすることで、自分の外面的な体型だけでなく、内面的な部分までを見直すいいきっかけになります。「こういう服を着こなすためには、自分のこういうところをもっと磨かなくてはだめだな」と思う事もきっとあるでしょう。また、まわりの人に自分はどういう服が似合うか、と尋ねれば、他人が自分をどのように見ているかがよく分かります。そこから学ぶことも多いでしょう。さらに購入するときには、お店の人など、詳しい人間の意見もよく聞く。こうして、服装を整えながら、自分も磨き上げていくわけです。
言ってみれば、スーツやシャツ、ネクタイなどをそろえ、着こなし、また自ら手入れをすることは、自分への投資。自己研さんとして考えると、本をたくさん買い込んで勉強したり、学校に通って技能をみにつけたりすることに比べれば、ずっと手軽ですし、楽しいものです。ぴんとこない、という人は、とりあえずシャツとネクタイだけでも工夫してコーディネートしてみるといい。それなら1万円程度で済みますが、おそらくそれだけでも、同僚や友人から「おっ、いいね」という声が返ってくるはず。その快感を味わったら、きっと服装に対する意識が変わってきますよ。
靴下
2015年10月23日 貞末良雄のファッションコラム
靴下の役目は、靴と素足の間の緩衝材であり、保温・吸汗・乾燥・通気性の確保、靴の外に出る足の上皮の保護。重要な服飾の必需品である。
これらの要素を考えると、夏は綿100%。冬はウール100%が理想である。
靴と素足の間の緩衝材である以上、靴のサイズに適合した靴下のサイズでなければならない。不適合なサイズの靴下は、常に靴底で不当な摩擦を受け、短時間で磨耗する。
私は足が小さく24cmであるため、いつも靴下に苦労を強いられてきた。世の中では、紳士靴下の90%以上が25cm~27cmで販売されている。靴下のかかとが靴の外にはみ出してしまう。
逆に大足の人(28cm~29cm)にとってはいつも靴下を引っ張って履くことになり、足指先や踵とさらに薄くなり靴下の寿命は極端に短くなる。
靴下は編み物であるから、伸縮性があるため、大が小を兼ね、小が大を兼ねるとして、紳士靴下は25cm~27cmに統一されてしまっている。これは顧客志向ではなく、売り手の傲慢であり、売り場では販売効率を重視した結果であろう。
一方、靴下は恰好の贈答品であるため、贈る側はワンサイズが好都合でもあったのだ。靴下売り場はサイズ展開こそないが、ブランドは賑やかに揃っている。まさに贈答品である。
靴は0.5cm単位でサイズが揃えられ、靴幅も何種類も履く人からは要求される。サイズの合わない靴を履くことは苦痛で、これを我慢するひとはいない。しかし市場にある靴下はどうだろうか。
靴のサイズと靴下のサイズの整合性は、(靴下をはく意味を考えても)より求められてもよいのではないか。
何とか気持ちよい素材(天然素材=体に優しい)で自分の足のサイズの靴下が販売されていないだろうか。望むべきもない。どこを探しても見つからなかった。
客も無頓着であり、靴下なんてこんなものだと躾けられたと言えなくもない。お洒落の基本は足元からであり、靴選びは礼儀作法に基づいてより良い物を求めるものであり足元を美しく整えるためには、靴下の重要性は理解し得るものである。
消費者が単なる消耗品でよいと思っているが故に、供給側の顧客満足への努力は進化していないのである。そこで、自社で私自身の欲しい靴下の製作・販売を決意した。幸いにも日本には、私達の要求を満たしてくれる立派な製造工場が現存していた。
冬は細番手※のウールほぼ100%(補強糸入り)、夏はエジプト綿100%。
※48番手双糸のウールドレスソックスなどお目にかかれない!コストがかかりすぎるからだろう…。
サイズはS:23cm~25 cm/M:25 cm~27 cm/L:27 cm~29 cmの3サイズ展開である。
紳士の身だしなみとして欠かせないホーズ(ニーソックス)靴下…だらしなくズリ落ちないで、うっ血もしない高度な技術で編まれた暖かいウールソックスを中心として、ハイソックス(膝下)を2015年10月23日から販売をスタートした。
鎌倉価格は、皆様の期待に応えるものとして!
冬の健康は、(ウールは汗をかいても、水に濡れても、保温力は保たれます)足を暖かくすることからではないだろうか。
健康について考えてみる【2】
2015年3月20日 貞末良雄のファッションコラム
衣食同源については、前回にも記述しました。
食物は、まさに健康と同義語と言えます。
友人の子供二人は、中国人とのハーフです。
6才と8才の二人に、日本製の牛乳を飲ませたところ、
二度と中国製の牛乳に口をつけませんでした。
日本製は中国では高価なので、困った友人は日本製のビンに
中国牛乳を1本入れておいたところ、何と、飲んでいたのは、
日本製を入れたビンの牛乳だけで、隣に置いた中国製には口をつけなかったのです。
この様に、子供の味覚は鋭いのですが、大人の友人にはその区別がつかなかったのです。
大人は鈍感になってしまっているのでは・・・?
私達の回りにある食品はどうなのでしょうか?
レトルト食品、外食が多くなり、自然に味覚が衰えているかもしれないと、
考えるべきではないのでしょうか?
中国では、上海近郊で農業を営む人の大半は北方から出稼ぎの農家が多く、
土地を借りて一年中農作物を生産しています。
その為、虫害等を防ぎ、生産性を高めるために、
法律で禁止されている農薬も使用していると、報道されていました。
農作人は薬品の知識が無いのですから、罪の意識はありません。
一方、無農薬で野菜を作っている農家は、自分の子供達のためにもと、
頑張っているが、野菜を市場に持っていくと、虫食いの野菜には目もくれません。
しかも価格はどうしても割高になるのです。
体に良いもの、自然に近いものは、値段が高くなります。
良い物を正しく選び、少量でも大切に食べる生活者がいない限り、
食品でのトラブルは収まりません。
中国人は、できれば日本製をと言っています。
日本人は、何と言っているのでしょうか?
あれだけ中国野菜、餃子、レトルト食品の中国製の問題が報道されても
消費者の選択が変化しない限り、利益拡大化のために、
低コストでの食品調達のルートは変わりません。
防腐剤の入った食品を永年食べた人は死んでも腐らないと言われました。
防腐剤の知識を持つ必要があります。
ゴキブリでも食べない食パン、何日放置してもカビも生えないパン菓子。
夏の日中、プラットフォームで売られている駅弁等、
どうして腐らないのかと疑問を持たないのだろうか?
国が許可した防腐剤は奨励されているわけではなく、
腐ったものを食べるよりは、腹痛、下痢、中毒を防ぐための
やむ得ない範囲で使用されているものと信じたい。
少々体には悪いとしても、もし食中毒を引き起こせば企業の生命にかかわることになる。
販売側は、食中毒が生じるおそれがない様に、安全にと考えれば、
防腐剤の量が多くなるのを防ぎようがない。
防腐剤は自然のものではないので、
国が認可しているからといって、毎日防腐剤づけの食生活で
体の健康が長期に亘って保てるとは思えない。
少々の薬剤ではすぐには、人間は死なない。
もしかして、これが食品業界の常識であれば、生活者自信が防衛するしかないのである。
わずかばかりの薬剤が長年体に沈殿していくとしたら、
これは恐ろしいことだと思わなければ健康な体創りは出来ない。
病気になって失う時間と費用を考えると、少々価格の高い食品であっても、
安全を保証してくれる食品を選ぶべきであろう。
中国の友人は言う。中国には選ぼうにも、どれもこれもまともなものが無く選択肢はない。
子供を持った親達は、皆、日本の様なクリーンな処へ行きたがっている。
このユートピアの様な日本で、日本人は、食は安全と安心しきっている。
そこに乗じた食品偽装事件が多発しているに拘らず、私達の平和ボケ安全ボケが続いている。
自分の健康は医者が保証したり、守ったりはしてくれない。
自分で防衛していくしか無いのである。
私達の周りには、加工食品が蔓延している。
自然な食品は都会では努力しなければ手に入らない。
食べる毎に健康へのイメージの拡がる食品か、
もしかしたら悪い予感のする食品を、毎日口にしているのか?
少し注意して考えれば、分かることなのだから。
病気になれば、医者にかかれば良い。
その為に、高い保険料を払っているのだから。
そこで医者も商売であり、医薬品メーカーも商売である。
健康な人ばかりでは商売上がったりだ。
医者が病人を創り上げる傾向にないだろうか?
いつの間にか、むかしなかった現代病が増えている。
メタボ指数、うつ病、高脂血症(コレステロール)、くしゃみ3回で薬を飲んでいたら、おちおち、
くしゃみもできない世の中に誘導されてしまっている。
自分の体のことは、自分が一番知っているのだから、平常から自分の体との対話を欠かしてはならない。
変兆があれば、その原因を究明する習慣をつけたいものだ。
誰のものでもない、自分の体なのだから。
健康について考えてみる【1】
2015年2月5日 貞末良雄のファッションコラム
100才まで生きて論じることかもしれないが、あと25年かかる。
それでは間に合わないかもしれないので、健康に関して話してみたい。
人間の体を精密機械に例えてみれば、何千億円かけても人間技で作り出すことはできない。
想像を超える、繊細なものであると認識しておかねばならない。
たとえ、車であっても充分に手入れをして、大切に愛して使えば長持ちする。
大切に手入れをしている車を、乱暴に運転することはできないものだ。
私達は、自分の体が頑丈にできていると思い込んでしまっている。
一病息災は自分のどこかが故障しているから、安全運転して、体を労わりながら生きている。
これが、むしろ正常な体と思い込んでいる人より長く、それなりの健康体を維持して長持ちしているのであろう。
健康であっても、この精密機械に負荷をかけない様、大切にしなければならない。
壊れてしまっては、車の部品を取り替えるようなわけにはいかない。
中国のことわざに
「病気はその兆候が表われるまでの時間をかけなければ全治しない」とある。
60才で20年前からの生活習慣が原因で病魔に侵されたとすると、
完治には80才までの年月が必要となる。
この様に考えると、40才になる前に、体に負荷のかかる生活習慣を改めておかなければ、
それ以降の病気は手遅れになってしまう。
オーストラリア原住民のアボリジニ族は、平均120才まで生きると言われている。
彼らは、それより若く命を失う人々は緩慢なる自殺行為を、生活の中で繰り返しているという。
30年以上も前、世界保健機構のタバコに関する論文内に、
-タバコは人の命を縮めるもっとも危険なものであり、タバコを吸う習慣の無い人は、
人類を救う選ばれた人たちである―
という項目に強い衝撃を受けたものである。早死にしたければ、タバコを吸えば良いのである。
先輩が新聞記者と談笑していたあるパーティーで、二人は共にヘビースモーカーであった。
彼ら曰く、タバコを止めるくらいなら、死んだ方がましだ。
戦争中でも食べるものには我慢出来たが、タバコは無理だった。なんとか手配をしたものだ。
しかし、その両人は、やがて肺に欠陥がみつかり、これ以上の喫煙は命を縮めると言われ、
その日から禁煙してしまった。
命よりタバコは大切だと、豪語したのは、自分だけは大丈夫と考えていたのであろう。
残念ながら、喫煙をやめても、侵された肺は元に戻らなかった。時すでに遅かったのである。
次に体の中で傷みやすいのは歯であり、その次は目と言われている。
医食同源と言われるのは、食事と健康は本質的に同じであるという意味で、
口から入るものが、体の健康を左右すると考えなければならない。
口から入るものは、歯によって細かく砕かれ、消化を助けることになる。
従って、歯を大切にしなければならないのであるが、以外と歯を大切にしている人は少ない。
笑うにしても、話すにしても、人前に歯をさらすことになる。
健康な白くきれいな歯、または、よく手入れされ、
治療された歯並びはその人の全てを表現していると言っても過言ではない。
健康でストレスを感じない生活を望むなら、絶対に歯の治療を後回しにしてはならない。
いくら費用がかかろうと、時間が必要であっても、人生の全てが係っていると考えて、
即刻歯医者の門をたたかねばならない。
前歯の汚れ、欠け等の放置は健康だけでなく、人格の中味すら曲げて受け取られる危険性をはらんでいる。
奥歯は言うまでもない。たべものを砕く武器でもある。
永久歯は代替えがむずかしい。虫歯も極端な歯列の悪さも、将来に禍根を残す。できるだけ早期の治療が望ましい。
健康はお金を貯めるよりむつかしい。
お金は食うや食わずで貯めることもできる。
ある日突然に相続を受けたり、馬券や宝くじに当たるなど、予想外なことでも、お金を手に出来る可能性を持っている。
しかし、健康は、毎日毎日、努力して積み立てていくものである。
20年の努力も、わずか1か月の無茶苦茶な生活、ストレス過多な生活をすれば、
全てを失ってしまう。
健康とは、毎日自分と向き合い、今日の行動がよかったか、もし悪かったら、無茶をしたら、
それによって、体は傷つけられていると考えることである。
正常な日常を取り戻し、時間をかけて癒していく。その決意を持ち続けることが健康を保つ一つの方法でもある。
人間の体は、決して丈夫ではないと考えるべきである。
自分だけが例外的に丈夫ではないのである。