これは、VAN JACKET企画部長だったくろすとしゆきさんから直接聞いた話です。
くろすさんはIVY研究の第一人者として、1960年代にVAN社から乞われIVY LOOKの日本展開にあたる最適任者として入社されました。
それでも1965年のIVY8大学を訪問するまでは、詳しいIVY事情は分からなかったのです。
アメリカではボタンダウンシャツ(以下B.D.シャツ)と言う、襟にボタンが付いたシャツがあるらしい。どうしてもそんなシャツを着てみたい。父親の行きつけのテーラーで、とにかく分からないなりに襟にボタンが付いたシャツを仕立ててもらったそうです。
それを友人のミッキー・カーチィス(アメリカ帰りのミュージシャン)さんに自慢すると大笑いされ、全然似ても似つかわない!本物はこうだ!と教えられたそうです。知らないという事は恐ろしいことだ―と思いボタンダウンとはなにかを教わった。と語ってくれました。
当時、VAN がドレスシャツとしてB.D.シャツを発売しましたが、スーツに合わせるよりもJACKETにあわせるのが主流でした。ドレスにもカジュアルにも着用できる汎用性から、水陸両用のシャツと呼ばれ、綿パンにB.D.シャツスタイルは、瞬く間に高校生・大学生の間に浸透していきました。
その勢いは、既存のシャツ業界に衝撃を与えました。こぞってVAN製B.D.シャツの物まねが始まりましたが、その奥に潜むB.D.シャツの真髄を理解したわけではなく、益々VANを有名にしてくれました。VAN は一流ブランドに押上げられたのです。
B.D.シャツの素材はオックスフォード“よんまる とうばん(40番手)の縦糸の引き揃え”に“10番手の横糸を打つ”東洋紡の紡績を西脇の機屋で織り上げる。これが基本でしたが、1970年代にRalph Laurenが、このIVY LOOKに革命的なひねりを施し、ライフシーンと共に新しいスタイルを提案。現代の風を吹き込みました。そう、彼は老舗アメリカンブランド出身のデザイナーだったのです。
彼はB.D.シャツにも新風を吹き込み、以来B.D.シャツは、現代風が主流になっていきました。それにイタリア風も加わり、オリジナルは消滅の一途でした。
アメリカでも自国の生産は激減してしまい、東南アジアでの生産にとって代わられました。ここで、細部への拘りなどの技術は継承不可能になりました。
2010年、Graham Marshさんの『THE IVY LOOK』が出版され、IYYを知らない若いアメリカの服飾デザイナー達に大きな衝撃を与えました。
自分達の国にこんな素晴らしい服飾文化があったのだ。古臭いが温もりがあり、安らぎを感じる。近代社会が忘れてしまった何かがそこにある。
古い遠い思い出の中で、潜在意識の片隅から、今こそそれは新しいと感じているのでしょう。皆さまにも、私たちの新しく古いB.D.シャツを感じて戴きたい。
鎌倉シャツ会長「貞末良雄のファッションコラム」アーカイブはこちら
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