ハルピンに行ったのは、1987年約25年も前になる。
その時ハルピンの空気のきれいな事、食べた食物も自然のままであった。
東京の空と違う青い空、なんと素晴らしいと思った事か。

2009年の春ハルピンから仕入れ先の一行が東京にやってきた。
東京の感想は?と聞くと、何と空気がきれいな事、空の青々としている事と、感激していた。

四半世紀の間に環境は全く逆転していた。
当時ビル一つもなかったハルピンは、高層ビルが立ち並び、近代化にまっしぐらだ。
いたる処建設中で、土地が掘り返され、土埃が空を覆っている。
暖房とアパートと少しばかりの生活の豊かさの代償は、環境破壊だったのだろうか?

北京空港から市内まで、細くて長い車道が延々と続いていた。
いったいどこまで、この真っ直ぐな道は続いているのだろうか、畑の中の一本道だ、さすがに広い国だ。
車などはまれに見るほどで、渋滞などは無縁、今は市中心から環状8号線まであり、8号線の円周は『東京~浜松』に相当すると聞いた。
呆れるほどスケールが違う。
平日でも環状6号線までは、いつも大渋滞で、7号~8号線はかろうじて車で走ることができる。
この20年間の中国の近代化はすさまじく、私は年に十数回中国にいくが、一度も青い空を拝んだことがない。
上海に住む友人は、青空は年に2度ぐらいかな…なんて言っている。

中国人と平均寿命の話をする。
中国では60歳を過ぎた人は、完全に引退して、ただの老人になる。
寿命は日本人より15年ぐらい短い。
それは仕方がないと彼らは言う。
きれいな水がない。
食物も汚染されている。
そんな生活しか出来ない。

寿命が短いのは当たり前だ。日本に行った事のある人達は、口々に日本はきれいだ、空が青い。
食べ物は何を食べても安心出来るし、うどん、ラーメン、寿司、何でも美味しい。
人々は礼儀正しく、サービスは完ぺきだ。
自分達に出来ないサービスに感動する。

電化製品も「メイド・イン・ジャパン」は、丈夫で長持ちする。
中国製は駄目だ。
でも、日本に来て「メイド・イン・ジャパン」が少ないのは淋しい、残念だ。
捜すのに苦労する。
大きな声では言わないが、彼らは日本を尊敬し、大好きなのだ。

あの漢方薬ですら信じていない。
日本に来たら薬を大量に購入する。
お米もいくら高くても買う。
ついでに炊飯器も変圧器も購入する。
日本の変圧器は小ぶりで、中国のものは炊飯器並みに大きい。

日本に住んでいて、ツアーで海外旅行しても、その国の事は判らないから、日本人は自分たちのすごさを知らない。
若い人たちの中には、何も考えずに疑問を持たなくても、先輩の築いてくれた日本が、どんなに尊敬されているか、凄いか、全く感知していない。
無形の財産をみすみす失いかけているのだ。

1974年に一緒にハワイへ語学研修した友人が、上海に住んでいる。
彼はコンピューターシステム設計会社で、進出日本企業の社長をやっている。
彼も10年位上海に住んで、ようやく注文が取れるようになったが、途中帰国を命じられる。
彼の居ない上海では、注文が取れなくなった。
2年後に再赴任して、バリバリと受注を取り始めた。
彼の人柄と懐の深さが中国人に信頼されたのだ。
人脈を築かなければ仕事は出来ない。
働いている会社のネームヴァリユーよりも個人的魅力、人間力が評価される。
17年目になるが、彼はもう中国人だ。

彼曰く、日本のルール、考え方、保守的な行動は通用しない。
決断とリスクテークがなければ、軽視されても仕方ない。
中国では何でも在りなのだ。
日本人の枠の中で考えたら何も出来ない。
13億も人が居るのだから、我先にと、早い者勝ちも理解できる。
常にトップがセールスする、決定権のある人が最前線で決断する。
序列はことの外、重んじるようである。

日本流で担当者が案件を持ち帰って決定する方式は、彼らは交渉時間の無駄と考えている。
トップが出てくれば、トップが対応する。
これが流儀だ。
担当レベルであれば、担当レベルが対応する。
何事も、何時までも決まらない。
日本人との商談は後回しにされる。

私の友人は10年前に現地の女性と再婚した。
30歳も年下だ。
子供が何故か二人もいる。
合法的に二人いるのである、9歳と7歳だ。
7歳の男の子は、優秀で飛び級でお姉さんと同級生になった。
奥様は60人しかいない寒村から山を下りて、南京で苦学して日本人ツアーガイドをして彼と知り合った。
19歳の時である。

最近その子供たちが冷蔵庫に買っておいた日本製の牛乳をよく飲む。
中国製には口もつけない。
値段も4倍ぐらい高いので、透明なビンに入れ替えても、日本製か判るのかそれしか飲まない。
大人には味の区別がつかないが、子供たちは判っているらしい。
いつの間にか日本製しか口にしなくなってしまった。
久光百貨店で購入するが、経済は大変だ。
奥さんもシャンプー、薬、ビール、全て日本製しか買わなくなった。
お土産は、シャンプーと風邪薬とお米が欲しい。
生命に関わるものだ。
値段はいくら高くても購入する。
それが今の中国だと言う。

何故日本は早く自由貿易を選んで、13億のマーケットに日本製品、農産物を売り込んで来ないのか?
彼は憤懣やる方ない様子で、会う度に内向きの日本人を嘆いている。
意思決定出来る人間が、もっと積極的に他文化を学び、現場から得る情報で決断しないのか。
地位の上の人ほど怠け者だと言っている。

1945年、第二次世界大戦で全てを失った日本人は、再び日本の復活を信じ、外向きに外向きに発想して、日本を再び繁栄に導いた。
どん底から這い上がった大和魂を忘れてはならない。

世界のパラダイムが大きく次元を変えようとしている今こそ、一人一人の強い民族意識が未来を切り開く鍵ではないだろうか?